めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

侍日本の苦難は続く

2014-06-20 16:14:26 | サッカー

昨日深夜まで起きていたため、朝早く起きられないでいると
息子が寝室にやって来ました。
目は半分開いていましだが、身体が鉛のように重い。
いつまで寝ているんだ、と言わんばかりに大声で
日本とギリシャの熱戦を伝えると足早にリビングに
戻って行きました。

キックオフからしっかりと応援するつもりでしたが、
睡眠時間が3時間程では足りません。
テレビの前に座ると、すでに試合は20分過ぎ、
決定的な場面がなかなか作れない日本に誰もが苛立ちます。

頭の中はまだ夢の中、でも、反射的に身体が動きます。
学生時代にサッカーに没頭していたこともあって、
いつの間にか自分もティームの一人として戦っていました。

それにしても、高い湿度と気温で、選手たちは思い描く
日本のサッカーができません。これは、相手ティームとて
同じ事。サッカーをするには最悪のコンディションです。

サポーターも必至です。思いを届けようと全身で叫びます。
私とて同じ。地球の裏側とはいえ、気持はグラウンドの上で
選手と一緒に戦っています。

前半が引き分けに終わり、後半に託されても、侍ジャパンは
切れのいいパスも、シャープなシュートも見られません。

こんな時、外から見ている我々と選手は全く感覚が違って
ティーム全体が別のスチュエーションで戦っている事が
多いものです。監督からの指示は解っていても、
目の前の相手と身体がぶつかり合い、気持ちがせめぎ合うと
思いもよらない方向に動いてしまう事が多いのです。

野球の試合中に観客席から沢山の野次が飛びますが、
その言っている事はあたっている事が多いのですが、
いざ、敵と対していると全く違う世界にいる様に思えてしまうのです。

そんなプレッシャーの中で、選手同士が作りあげたシュミレーションを
実行するという事は、まるで針の穴に糸を通すような難しさとなります。
お互いに勝つための戦術をぶつけ合うと、思い通りにならないのが
当たり前の事なのです。

しかいながら、私達観客はいつも日本ティームが私達を喜ばせる
プレーをしてくれると信じて応援します。
このことは敵のティームのサポーターや国民も同じです。
拮抗したせめぎ合いの中で、どちらがその期待に応えられるか、
そして、その瞬間を待っているのです。

とは言うものの、今大会では中々思うような結果が出ていません。
決してティームが弱かったり、戦術が悪かったのではありません。
戦ってみて初めてその真価が解るのがスポーツなのです。

選手たちも悔しいが私達応援する日本国民も悔しいのです。
でも、この悔しさは結果如何を問うでは選手たちの立場がありません。
彼らは私達の代表として戦ったのですから。

彼らの戦いは終わったのではありません。次への戦いへと続くのです。
私達も悔しさを次への力に変えて、次こそ歓喜の雄叫びを挙げるべく
選手たちを見守っていきたいと思います。