羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

三宅坂から赤坂見附、迎賓館まで散策

2018年11月08日 13時51分37秒 | Weblog

本日、三宅坂から国道246、青山通りを歩いた。

これまでに渋谷からは青山一丁目そこから表参道への道。

また、赤坂見附から青山二丁目へ、右折して明治神宮外苑への道。絵画館見学も行なった。

今朝は、三宅坂の勾配がどの程度なのかを体感したくて、赤坂見附まで歩いた。

最後のところで非常に急勾配だった。

これで、片側3車線の大通りを全て歩いたことになる。

三宅坂から渋谷までの青山通りは、まさに軍用道路であることを確かめたかった。

一つには、昭和11年の二・二六事件の道のりを歩いてみたかった。

この年、短期現役兵・師範学校の専門部の学びも終えた野口三千三は、群馬・高崎の小学校で本格的に訓導となった。

そして明治神宮外苑・明治神宮、青山練兵場、代々木練兵場、この地理感覚がよりはっきりした。

代々木練兵場の端、西原には体育研究所、のちの東京体育専門学校があって、戦争末期に上京した野口がいた時間の流れをおった。

さて、本日は、赤坂見附から横道にそれて、弁慶橋を渡って、紀尾井町へ向かい、ホテルニューオータニを左手に見て、「喰違見附」を渡った。

渡った先には、赤坂離宮の東側の門があって、ぐるりと回り込むと正門に出る。

ちょうど団体さんがやってきた。何となく後ろについて歩いていくと、赤坂離宮の西門から離宮内に入っていくではないか。

そのまま行列に並んで、金属探知機を通り抜け、入場券を買って建物内を見学。

一通り見て回って、庭園へと出ると天気も良く清々しい秋の空気に包まれた。

庭園から建物を眺め、噴水の水しぶきを浴びる。

思いがけず明治からの東京を、本日も味わった。

欧化政策に躍起になって、背伸びをした日本人がいた。

その行き着く先の一つが1945年の敗戦だったのか、と思うと複雑であります。

本日の収穫。

それは、初めて江戸城内郭と城下を取り巻くように造られた延長約14キロの濠。

そのうちの4キロが史蹟指定されていることを知った。

4キロ範囲の江戸城外堀跡の史跡は、赤坂見附、喰違見附、四谷見附、市谷見附、牛込見附であるが、喰違見附以外は、子供の時から馴染みがあった。ちょっと調べてみた。貼り付けます。

1612(慶長17)年、甲州流軍学の創始者・小幡景憲(おばたかげのり)によって縄張りされたと伝わる江戸城外郭門のひとつ。江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣をコの字型に巡らした強固なものですが、喰違見附は土塁を前後に延ばして道をジクザクにして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(こぐち=城の出入口)の構造です。

以上、午前中の散策報告でした。 

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