羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

昨日のつづき・・・・映画プラスα

2019年08月09日 09時16分10秒 | Weblog

1983(昭和58)に、映画「東京裁判」が公開された当時、私の中では一つの偏見があった。

知人のお嬢さんから“一緒に見ませんか”と、お誘いを受けた記憶がある。

その時、まったく乗り気にならなかった。

誤解を恐れず書かせていただくと、この映画をよしとする人々は、急進的な平和論者、・・・・・独特な思想を持つ方々がご覧になる映画、と言うような印象を持ってしまっていた。

 

それから36年後。

今、思うこと。

もし、私が、野口体操に出会わなかったら、今年の公開時でも見ることはなかったかもしれない。

もし、私が、「野口三千三伝」を書き始めていなかったら、今年の公開時にも見ることはしなかったかもしれない。

そう思う。

 

三千三伝を書きながら、戦争末期から終戦直後のことを調べ始めている。

当然のこととして「東京裁判」は、見ておかなければならなかった。

いや、義務以上の内側からの欲求を感じていた。

昭和を知るため、三千三が生きた青年期から壮年期に差し掛かかる時代の日本を知りたいがため。

そこでこの映画に出会った。

歴史上の人物の風貌、声色、表情、仕草、・・・・たとえ映像の中であっても、つぶさに見ること・聞くこと・感じることができる映画はそれだけで価値がある、と思う。

どんなにたくさんの本を読んでも、これだけ濃密で精緻で具体的な情報は得られない。

裁判が行われる法廷という限られた場で繰り広げられる、相互の人間同士の葛藤の姿・音声で発せられる言葉、言葉にならないがありありと出てしまう表情から受ける事柄は、書物という文字の世界からでは、絶対には伝わってこない一つのリアルが、そこには存在する。

その背景にある世界情勢・日本のありようが理解を深める手立て以上の意味がある。

 

見終わって思った。

言い訳がましいが、1983年時に見たとしても、当時の私には、この映画の素晴らしさを理解するだけのあらかじめの知識も欲求も持ち得なかった。今だからこそ、意味があったに違いない。

この数年間、三千三を通して、昭和の時代を探っている。その繋がりでこの映画に出会った。偏見を持っていた自分に、忸怩たる思いを抱いている。

それでも教わってこなかった日本の近現代を、生きているうちに、少しだけでも知ることができて、少しだけ考える時間を持つことができて、これが「私と野口体操」と言えるのかもしれない。

あれほど体操は不得意だった自分が、なぜ、野口体操にハマってしまったのか。

周りが心配するほどの入れ込みようは尋常ではなかった。ありがたいことに、若気の至りとは思えなくなってきた。

飛躍するが、一つのことを諦めずに継続して、歳をとるってまんざらではない。

だからこそわかることって、あるんだわー。

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