羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

思いがけない感情に出会った……ほぼ3週間のできごと

2016年11月08日 04時26分05秒 | Weblog
 5日ぶりに荷をほどいた。
 ポーチからは、携帯用の櫛と歯磨きセット、ウエットティッシュ、ポケットティッシュ、ガーゼのハンカチ。
 パジャマ一組+予備のパンツ、名前をつけた下着を二組。ルームスリッパ一足。
 先方と交わした提出書類、介護保険証、後期高齢者保険証、おくすり手帳。
 そのままにしておこうと思ったが、すべてを所定の場所に戻した。

 遡ること11月3日のこと、祭日ながら大学の授業があった日の5時半過ぎ。
 帰宅すると母があられもない姿でソファに腰掛けていた。
「二回も頭を打ったの、トイレに行きたい」
 どうやら転倒したらしい。
 しかし手をさしのべると立ち上がって、歩きはじめた。転倒したと言っても骨折やひどい打撲はないような感じだった。

 湯沸かし器のスイッチを入れて温かいタオルでからだを拭いてあげようとしたのだが、お湯になってこない。
「壊れたの? なにもこんな時に……」
 慌ててがガス会社に電話をいれた。
「本日の営業は終了いたしました。ガスもれの場合には○○○へ」
 さらにあたふたして、ヤカンでお湯をわかそうとしたがこちらも火がつかない。
「地震だと感知して自動で止まった!」
 東日本大震災のときのことを思い出して、処置をすると2分後には復活した。
 相当な勢いで母が飛ばしたものの衝撃があったのだ、と、得心したのだった。
 それから夕飯も終えて、落ち着いた母に話かけた。

 遡ること10月18日のこと、認知症の会の仕事をしている従兄と近くの介護付き有料高齢者ホームを見学していた。
 ショートステイが可能らしい。
 夏目漱石事件以来、時々言動がおかしい日があって、不安を感じた私は、とにかく行動してみないことにはわからい、とばかりに実際に調べることにした。第一弾がここであった。
 母を長時間一人においておくことは出来ないだろうと、弱気になっているうちにしかない。
「どんなところかわからないのに、返事のしようがないわ。行ってみてもいい」
 翌日、ショートステイをためすことになって電話をすると、その日の午後には施設の女性が訪ねてくれた。
 5日のおとまりの契約をすませ、必要なものを買い足して、持って行くものの荷造りをしておいた。

 さて、11月5日の早朝、目覚めははやく、時間を持て余したこともあって、持ち物の最後の点検をしていた。
 なぜか心配になって、母のために新しく揃えたパジャマの着心地などを試してみたりした。
 そうこうするうちに、急に寂しさがこみ上げて、いつのまにかぼろぼろと涙がこぼれてきた。
 一泊といっても近い将来、母をこの施設に預けることを前提にした行動だった。
「67年一緒に暮らしたのに、これから一人でこの家にすむことになるの」
 食事の材料は今まで通りの商店では買えなくなるに違いない。
 帰宅したときに、部屋の灯りが消えていることになるに違いない。
 それに母が亡くなった時のことまでも想像して、先取りの悲嘆にくれてしまったのだった。

 しかし、気を取り直して、涙を拭いて、朝食の準備で階下に降りた。
 冷蔵庫あけると、常備菜を用意していなかったことに気づく。
 申し訳ないような気分になって、それでもご飯を炊き、みそ汁を作って、なんとか間に合わせる工夫をして準備完了。

 母を起こした。
「あのね、歯が痛いの」
 眠気眼で言う。
 治療して様子を見ていた歯がぐらぐらしているらしい。
 その瞬間、私は、へなへなと畳に座り込んでしまった。

「どうしたらいいの」
「もちろん、歯医者に行くのが先よ。今日は午後から朝日カルチャーのレッスンがあるから、おとまりはキャンセルしましょう」
 きっぱりと言う。
「からだが大事よ」

 9時なるのを待って、施設に謝りの電話をいれた。
「お母様はすごく緊張されていたんですね。弱いところに出るんですよ」
 その言葉を聞いて、幼稚園児じゃあるまいし、と思いつつもホッとしている自分に気づく。
「緊張していたのは私自身でもあったのね」
 
 遡ること11月1日のこと。
 ケアマネージャーの方が紹介してくれた少人数のデイケアサービスにも訪ねていた。
 お習字をしたり、絵手紙を書いたりしている。
 見回すとピアノもあった。
 そのピアノを94歳のおばあさまが弾いて聞かせてくれたのである。
 ハ長調でトニックとドミナントとサブドミナントしかない曲ではあったが、楽譜を見ながらリズムも狂わず、和音も間違わず弾いている姿を見て思わずそばによって、低音を補い連弾をしてしまった。
 彼女が途中で気がついたことがある。
「メロディを一オクターブあげましょうね」
 いやいや私もそれは思っていたけれど、言葉にせずに何曲か弾き続けた。
 自分が気づくことが大切なのである。
 その能力が喚起されたことは、素晴らしいことと感動してしまった。
 ところが不思議な感情が去来する。
「もし、ここに母を通わせるとしたら、何を着せてあげようか」
 94歳のおばあさまと母を比べているのである。少しでもよく見られたい、という微妙な気持ちがおこるのだった。
 娘としての見栄だ、とわかっていても、何ともしがたい心理だった。
 帰宅して、その日のうちに、デイケアサービスに通うことをすすめてみる。
「そんなところには行きたくない」
 あっけなく母に却下されてしまっていた。

 このブログにも書いた10月15日夏目漱石事件から、ほぼ三週間後。
 私の留守に、母が取り返しがつかない怪我でもしたら苦しかろう、とあれこれ歩き回って、迷惑をかけて、少しでもよい道を見つけたいという憑き物がストンと落ちたのが、この話の最初、11月5日土曜日のことだった。
 この間、
「まさか、私が、こんなさまざまな感情に振り回させるなんて……」
 本気になって行動しなければ、生まれてこない心の激震を味わっていたようだ。

 またしても本日、見学予約してあった特別養護老人ホーム、いわゆる特養に出かけた。
 気持ちはなぜかスッキリ、晴れやかだった。
 1時間半以上の時間をかけて、説明を聞きながら施設内を見せてもらえたが、とてもよい勉強になりました!

 寒空ではあったけれど、帰りは自宅まで歩くことにした。
 落語に出て来る妙法寺さんから、堀之内の葬斎場、そして「樹木葬 宙の会」と染め抜かれた旗が風に靡いていた寺に寄り道して、墓地を見て回りながら想いを巡らせた。
「わたしなら、インドに行って“死を待つ人の家” に、からだを横たえたいな〜」
 難しそう、とすぐ打ち消しました。

 最後に、疲れ果てボロボロ状態で出かけた先週の土曜日、話を聞いていただいた方々、日曜日にも話を聞いてくださった板垣さん、皆様の優しさに包まれて、適切な助言をもらって、嬉しかったことを書かせてください。
 優しさが染みました。
 言葉が腑に落ちました。気持ちが楽になりました。 
 心から感謝です。

 ******

 ここまで、まとまりない長い長い話を読んでいただきありがとうござました。
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