今朝のこと。
昨日、大学に行く途中、デパートの中に入っている書店で、手に入れた本をパラパラとめくっていた。
まだ丁寧には読んでいない。本当は読みたいのだけれど、読み始めたら止められない予感がしているから。
まず、先にやらなければならないことがいくつかあって、ぐっと読みたい気持ちをこらえている。…でも、止められなくなっていると、あるページで、目が点になった。
「この人、ちょい悪どころではなさそうだ」
誰のこと?
世に名高い俳聖・松尾芭蕉である。
人はスキャンダルを好むところがある。
で、この著者は、こう言う。
「芭蕉はスキャンダルをかかえて江戸住まいをしており、困ったことに、自らすすんでスキャンダルへ突入していく破滅傾向があり、それが杜国をともなった禁断の旅となった」と書く。
杜国という御仁は、空米売りの罪で、伊良湖岬に流罪になった米商。水もしたたる美青年で芭蕉の弟子であった。
流罪者を連れ出したことがわかれば芭蕉もまた罪人となる覚悟をして決行したのが、『笈の小文』の旅だとある。
「禁断の紀行」は、没後に編集・刊行された。没後でなければ刊行できなかったわけがあった。
さらに先を読むと面白い。
世を忍ぶ杜国は、万菊丸と名乗って、芭蕉に従う。京に廻って当時の人気役者吉岡求馬の歌舞伎を見る。ところが見た翌日に求馬が急死してしまう。
そこで芭蕉は
花あやめ一夜に枯れし求馬哉 (求馬はもとめと読)
すかさず万菊丸は
だきつきて共に死ぬべし蝉のから
この句は、蝉のように抱きついて死にたいと読むらしい。
急死した求馬に託して芭蕉への恋心を詠んだとある。
つまり、『笈の小文』は、危険なる紀行であったと著者は書く。
どうも、どうも、今日のブログには危うい文字が躍っておりまするなぁ~。
文芸は人の数だけ、読みはあるということ。
『悪党芭蕉』の著者の名は、嵐山光三郎 新潮社刊。
第34回 泉鏡花文学賞受賞と帯にあるのも頷ける。
実は、ジュニア新書『身体感覚をひらく』の書き出しは、そんなこととは露知らず『笈の小文』の句からはじまったのよね。
まぁ、いいか。
さて、先ほど宅配されたそのゲラ校正を、はじめなければ……と思いつつ、目はキーボードわきの本にそそがれて。
昨日、大学に行く途中、デパートの中に入っている書店で、手に入れた本をパラパラとめくっていた。
まだ丁寧には読んでいない。本当は読みたいのだけれど、読み始めたら止められない予感がしているから。
まず、先にやらなければならないことがいくつかあって、ぐっと読みたい気持ちをこらえている。…でも、止められなくなっていると、あるページで、目が点になった。
「この人、ちょい悪どころではなさそうだ」
誰のこと?
世に名高い俳聖・松尾芭蕉である。
人はスキャンダルを好むところがある。
で、この著者は、こう言う。
「芭蕉はスキャンダルをかかえて江戸住まいをしており、困ったことに、自らすすんでスキャンダルへ突入していく破滅傾向があり、それが杜国をともなった禁断の旅となった」と書く。
杜国という御仁は、空米売りの罪で、伊良湖岬に流罪になった米商。水もしたたる美青年で芭蕉の弟子であった。
流罪者を連れ出したことがわかれば芭蕉もまた罪人となる覚悟をして決行したのが、『笈の小文』の旅だとある。
「禁断の紀行」は、没後に編集・刊行された。没後でなければ刊行できなかったわけがあった。
さらに先を読むと面白い。
世を忍ぶ杜国は、万菊丸と名乗って、芭蕉に従う。京に廻って当時の人気役者吉岡求馬の歌舞伎を見る。ところが見た翌日に求馬が急死してしまう。
そこで芭蕉は
花あやめ一夜に枯れし求馬哉 (求馬はもとめと読)
すかさず万菊丸は
だきつきて共に死ぬべし蝉のから
この句は、蝉のように抱きついて死にたいと読むらしい。
急死した求馬に託して芭蕉への恋心を詠んだとある。
つまり、『笈の小文』は、危険なる紀行であったと著者は書く。
どうも、どうも、今日のブログには危うい文字が躍っておりまするなぁ~。
文芸は人の数だけ、読みはあるということ。
『悪党芭蕉』の著者の名は、嵐山光三郎 新潮社刊。
第34回 泉鏡花文学賞受賞と帯にあるのも頷ける。
実は、ジュニア新書『身体感覚をひらく』の書き出しは、そんなこととは露知らず『笈の小文』の句からはじまったのよね。
まぁ、いいか。
さて、先ほど宅配されたそのゲラ校正を、はじめなければ……と思いつつ、目はキーボードわきの本にそそがれて。