8月中旬からスタニスラフスキー関連の本を再読して、全部ではないけれどポイントが掴めてきた。
1950年代スタニスラフスキー・システムブームになったということで、日本での受容について調べ始めている。
中心にあったのが「ぶどうの会」、とりわけ演出家の岡倉士朗氏と言ってもよい。
野口が岡倉氏に出会ったのが昭和1955(昭和30)年のこと。
その4年後・1959(昭和34)には、岡倉氏が病に倒れ帰らぬ人となった。
野口にとっては思いもかけない出来事に、人目を憚ることなく枕辺で大声を上げ大粒の涙を流した、と聞いている。
それでも岡倉氏が力を入れていた学校演劇は、確実に遺志は引き継がれ1962(昭和37)年8月2日〜6日『’62 未来をつくる演劇大学』主催・日本演劇教育連盟 長野県駒ヶ根市高山荘 が開催されている。
写真は鹿児島の演出家・貫見忠司氏より
1961年度の顧問に野口三千三の名前を見つけた。
その他の顧問には、野口から聞いていた人の名前だけを拾ってみると次のような方々。
宇野重吉 木下順二 下村正夫 千田是也 八田元夫 道井直次 村山知義
山本安英 他
講師紹介欄の野口三千三は『体操の面からスタニスラフスキー・システムを研究、演技の基礎としての体操に独創的な成果をあげ、注目されている』とある。
巻末には『《講義実習資料》「演劇の基礎として体操(Ⅰ)」』イラスト付き4ページ 体操のテキストが掲載されている。
この時代を知る人はすでに亡くなられている方ばかり。
文字として冊子として本として残っているありがたさをつくづく思う。
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