羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

お年寄りの脚の変形

2011年10月26日 11時51分39秒 | Weblog
 我が母もそうなのだけれど、若い時にどんなに真っ直ぐな脚も、気がついた時には、かなり曲がってしまっている。80代を超えた時に、気がついたが、そのままになってしまった今では、曲がり度が強くなってしまった。
 それでも、先日、訪ねた母の実家の叔母よりは、少しましな状態だ。

 叔母は80代前半だろうか。はっきりした年齢はわからない。
 かなり以前から膝が悪く、正座は出来ないし、ヒアルロン酸を打ちに定期的に医者通いをしていることは茶飲み話に聞いていた。よくよく脚の形を見た。0脚度合いは進行しているので、あの状態で正座をすること自体が痛める元である。
 脚というのは、年齢と共に変形するらしい。当然、腰痛もある。無理もない。日々の暮らしに追われていると、自分のからだのことは後回しになる。舅と姑をおくり、娘二人を嫁に出し、息子に嫁をもらい、夫はわがままで家のことはしない。家業も手伝い、面倒な親戚付き合いもこなす。最近では認知症気味の夫に代わって、家の財務を引き受ける。これには息子夫婦には渡したくない微妙な心理が働く。

 そうした何十年もの暮らしぶりをしっていると、今更ながら体操をしたらとはいえない。
 結局のところ医者に通い、薬でなんとか痛みをとめるしか手はないのだろうか。
 果たして、大なり小なりお年寄りが抱える身体情況に違いない。
 
 少なくとも40代くらいの年齢から、年を取った時のからだの形をイメージして、スチレッチをするとか、体操をするとか、ちょっとした筋トレをする、といった習慣はこれからの世代に許されることかもしれない。
 母たちの世代、つまり大正末から昭和一桁生まれの女性たちは、特別な職業を持っている場合を除いて、ジムに通うことなど出来るはずもなかった。

 しかしである。これからの高齢化の時代に、からだの手入れはもっと日常化してもよい、とつくづく思った。
 座る、立つ、歩くといった基本動作がおぼつかないのでは、家事どころではない。寝たきりのお年寄りも多いわけだから、叔母や母くらいに動いてくれればよしとせねばならないのか、と思うと暗い気持ちにさせられる。
 少なくとも脚の変形を少しでもなくすためのストレッチをする機会を、中年期に始める環境をつくり、指導者を養成することが、高齢化にとって必須ではないのか、と思った。

 まずは足腰から、と言われるのは真実なのだが、なかなか若いうちや間に合っているうちには、手入れをする必要性を感じないのが普通だ。
 薬に頼らず、自分が運動することで、老いた時になんとか体型を保つ社会的な土台作りをすることが大切だ。
 街で歩く高齢者の足腰を見ると、曲がり状態がひどいことになっている場合が多い。
 実際には、足腰を伸ばす体操を行うのは、難しいとしても何とかしなければならないだろう。
 さまざまな事情があって、ことはそう簡単ではないから問題は一気に解決しない、としてもである。
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