羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ガイアシンフォニー第9番

2021年06月29日 15時25分08秒 | Weblog

ガイアシンフォニー第9番

 

龍村仁監督「ガイアシンフォニー」第9番は、6月22日から7月11日まで恵比寿「東京都写真美術館」で上映されています。

本日、朝10時25分の回を観てきました。

1992年の第1番から始まって第9番まで、30年近い歳月が流れたことに深い感動を覚えています。

集大成のこの作品は、監督の命のシンフォニーでありました。

認知考古学者のスティーブン・ミズン(声・林田尚親)が提唱する「流動性認知」という概念に深く感銘を受けたところです。ネアンデルタール人と異なるホモ・サピエンスが持ち得た「世代ごとに新たな技術や道具を発明し、変化し続ける創造的知性」を、指揮者小林研一郎の音楽創造過程を軸に話は進められていきます。ベートベンのシンフォニー「第九」が象徴として鳴り続けています。

物語はさらに人から神へと捧げられた「歓喜の歌」をさらに超えていきます。杉や檜ような植林された森ではなく、自然そのものの原生林に帰していく被災地天川村の「斎庭(ゆにわ)プロジェクト」の活動に未来へのメッセージが託されます。

深読みお許しいただけば、それほど先のことではなく監督ご自身も京都法然院のお墓に入られるのか。自然に還っていかれることを暗示する瞬間のコマ挿入など、見るものの心を命の不思議へと誘う、と。

この映画は、多様な自然・多様な文化・多様な音楽・多様な概念を・・・・・、縦横無尽に絡ませて織り上げていく。龍村仁、さすがである!

本当はネアンデルタール人のように言葉はいらない、と監督はおっしゃりたい。ただ音楽を奏でる、それだけでいいと、監督ご自身がいちばん知っておられる。

しかし、映画として作り上げるには、監督ご自身がネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間で複雑なハーモニーを模索するしかない。二つの血を引き受けて、ねりに練って仕上げられたのに違いない、と私は勝手に想像しています。

CHAPTER8 寂寞への共鳴 SHIJIMA 死への陶酔はそのまま宇宙への祈りとなって観るもの聴くものに迫ってくるのでした。音楽「The end pf the world (Brenda Lee)」この世の果てまでが、いつまでも耳に奥で鳴っています。(ネタバレお許しを)

おもえば、野口三千三先生が龍村監督の「セゾン3分CM 人物映像ドキュメンタリー」出演の縁を得たことで、ガイアシンフォニー珠玉の作品群に出会い、第9番にこめられた深いメッセージを受け取ることができたことに素直に感謝しています。

それだけではなく、偶然にも佐治嘉隆さんの奥様とも会場で出会い、映画終了後にランチをともにしながらゆっくりお話できた、というご褒美までいただきました。

感動冷めやらず、推敲せずにアップします。

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