昨日、午前8時52分着信の「日経速報メール」で、スティーブ・ジョブズ死去の報を読んだ。
慌てて、FacebookにTwitterにBlogに、書き込みをして池袋の大学に出かけた。
授業では、追悼の思いもあってか、iPadに野口先生の「腕立て伏臥の腕屈伸」の一連の写真を映し出して、或る部分を拡大したり縮小したりして、学生に見せながら「腕立て伏臥のはずみあがり」を説明した。学生たちの気持ちは一気に集中する。若者にとってはあこがれのiPadなのだ。
授業を終えて新宿駅で乗り換えたJR中央線では、優先席に腰掛けているアメリカ人らしい父と娘の脇に立った。
父親はiPadで写真をメール送信する準備をしていた。手短に文章を綴り送信し終わるとそれを娘に手渡す前に、漢字の練習帳を開いた。受け取った娘は、画面上を見つめ漢字の書き順を覚える。次に三回ほど文字をなぞって、文字の形と意味と音声で訓読み音読みを習う。最初は「犬」、次は「見」であった。それに飽きるとささっとページを開いてゲームを楽しんでいた。きっとお母さんは日本人なのだろう。とか、この家庭ではMacがいろいろに活用されているに違いない。生活のありようが想像できる。コマーシャルの一シーンを見るようだ。
帰宅して、二階に上がり、iMacを立ち上げ目を通す。予想通りサジさんや撫明亭ご亭主のブログには、切々たる思いが綴られていた。
「私とは深さが違うなぁ~」
ちょっと嫉妬しながら読ませていただく。
他にも、夕刊やテレビのニュース、その他の媒体でも読んだり見たりして、存在の大きさを改めて確認した。
思えば、1990年代半ば過ぎに、初めてMacがやってきた日、同居人が増えたようだった。
正直、後悔した。
「お高い買い物だったのに、これからどのようにつきあっていけばよいの。むにゃむにゃむにゃ。。。。」
それまでの機械としてのワープロ・キャノワードとは違って、一人の「人格」が宿っていたのだ。
なかなか手強い。手に負えない。そこで若い知人の女性に助っ人を頼んだ。接続し、初期設定をしてくれた上で、使い方を懇切丁寧に指導してくれた。
「とにかく端からクリックしてみてください。大丈夫ですから。使っているうちに、分かってきますよ」
当時は、彼女だけではなく、パソコンを普及するためにボランティアで面倒を見合う、という活動が始まっていた。こうした無償の行為が、新しい変革には大きな力となっていった。90年代である。とりわけMacファンが立ち上がって鎖のような連携がとられていたのだ。
数名の方に教えられながら、1年たち、2年過ぎるうちには、使う範囲は狭いものの、Macは私の暮らしのなかにしっくりとなじんでくれた。“メル友”などという存在は、皆無に等しかったが、それでも数少ない人との通信で、インターネットも使いこなせるようになっていった。
その後、一度はWindowsに変わったこともあったが、2009年にiPhoneに乗ってから、気持ちが揺れはじめていた。ようやく今年になって10年弱ぶりにMacに戻った。
一年もたたないうちにMac貧乏状態だが、悔やむ気持ちも恨む気持ちもなく、むしろMacにかこまれていることが幸せなのだ。この幸福感はどこからくるのだろう。
以前の関わり方とは、まったく違う蜜な関係である。いろいろなことが変化し、十年来の懸案も解決の道を歩きはじめた。
いってみれば、その人が亡くなる半年前くらいに入門した弟子を「没後の弟子」と呼ぶそうだが、まさにそのようなものだ。間に合ったことへの安堵感があるからこそ、全身を覆う寂寞感と空虚感なのだろう。
今朝もニュースや新聞で取り上げられている報に接している。
哀しみが波のように寄せては返している。
ホームーページ上に掲げられいる一枚のモノクロ写真が語りかけることを、きっと私は忘れないだろう。
Think different.
慌てて、FacebookにTwitterにBlogに、書き込みをして池袋の大学に出かけた。
授業では、追悼の思いもあってか、iPadに野口先生の「腕立て伏臥の腕屈伸」の一連の写真を映し出して、或る部分を拡大したり縮小したりして、学生に見せながら「腕立て伏臥のはずみあがり」を説明した。学生たちの気持ちは一気に集中する。若者にとってはあこがれのiPadなのだ。
授業を終えて新宿駅で乗り換えたJR中央線では、優先席に腰掛けているアメリカ人らしい父と娘の脇に立った。
父親はiPadで写真をメール送信する準備をしていた。手短に文章を綴り送信し終わるとそれを娘に手渡す前に、漢字の練習帳を開いた。受け取った娘は、画面上を見つめ漢字の書き順を覚える。次に三回ほど文字をなぞって、文字の形と意味と音声で訓読み音読みを習う。最初は「犬」、次は「見」であった。それに飽きるとささっとページを開いてゲームを楽しんでいた。きっとお母さんは日本人なのだろう。とか、この家庭ではMacがいろいろに活用されているに違いない。生活のありようが想像できる。コマーシャルの一シーンを見るようだ。
帰宅して、二階に上がり、iMacを立ち上げ目を通す。予想通りサジさんや撫明亭ご亭主のブログには、切々たる思いが綴られていた。
「私とは深さが違うなぁ~」
ちょっと嫉妬しながら読ませていただく。
他にも、夕刊やテレビのニュース、その他の媒体でも読んだり見たりして、存在の大きさを改めて確認した。
思えば、1990年代半ば過ぎに、初めてMacがやってきた日、同居人が増えたようだった。
正直、後悔した。
「お高い買い物だったのに、これからどのようにつきあっていけばよいの。むにゃむにゃむにゃ。。。。」
それまでの機械としてのワープロ・キャノワードとは違って、一人の「人格」が宿っていたのだ。
なかなか手強い。手に負えない。そこで若い知人の女性に助っ人を頼んだ。接続し、初期設定をしてくれた上で、使い方を懇切丁寧に指導してくれた。
「とにかく端からクリックしてみてください。大丈夫ですから。使っているうちに、分かってきますよ」
当時は、彼女だけではなく、パソコンを普及するためにボランティアで面倒を見合う、という活動が始まっていた。こうした無償の行為が、新しい変革には大きな力となっていった。90年代である。とりわけMacファンが立ち上がって鎖のような連携がとられていたのだ。
数名の方に教えられながら、1年たち、2年過ぎるうちには、使う範囲は狭いものの、Macは私の暮らしのなかにしっくりとなじんでくれた。“メル友”などという存在は、皆無に等しかったが、それでも数少ない人との通信で、インターネットも使いこなせるようになっていった。
その後、一度はWindowsに変わったこともあったが、2009年にiPhoneに乗ってから、気持ちが揺れはじめていた。ようやく今年になって10年弱ぶりにMacに戻った。
一年もたたないうちにMac貧乏状態だが、悔やむ気持ちも恨む気持ちもなく、むしろMacにかこまれていることが幸せなのだ。この幸福感はどこからくるのだろう。
以前の関わり方とは、まったく違う蜜な関係である。いろいろなことが変化し、十年来の懸案も解決の道を歩きはじめた。
いってみれば、その人が亡くなる半年前くらいに入門した弟子を「没後の弟子」と呼ぶそうだが、まさにそのようなものだ。間に合ったことへの安堵感があるからこそ、全身を覆う寂寞感と空虚感なのだろう。
今朝もニュースや新聞で取り上げられている報に接している。
哀しみが波のように寄せては返している。
ホームーページ上に掲げられいる一枚のモノクロ写真が語りかけることを、きっと私は忘れないだろう。
Think different.
それはそのまま野口先生につながります。
物事をいろいろな角度から眺め、枠に捕われることを嫌い、
この先のカラダの有り様を探り続けた人。
ある意味、クレージーな方でしたから。