昨日のブログにサジさんが、コメントを入れてくださった。
ほんとうに当時の苦労がしのばれる。
ビデオ記録をはじめて、いちばん勉強されたのは野口先生ご自身だった。
最初は抵抗された野口先生だったが、次第に面白くなって授業に工夫をこらされ、映像として惹きつける演出をさりげなくなさったと思う。
私も撮れた映像を見ながら、内容を確認し、そこからテーマを抜き出してラフ編集をすることがあった。
サジさんが次の段階のラフをつくって、野口先生にご覧にいれた。
すると新しい提案がなされて、別撮りのシーンを挿入したりして、だんだんにきめ細かになっていくのを先生も楽しまれておられた。
第一作の「装身具に貞く」では、装身具を別撮りしてこれで決まりかと思ったものを先生が一言。
「装身具に動きがない」
不満を漏らされて、ご破算になる。
そこでサジさんがもう一工夫されて、動きのある装身具映像が出来上がった。
「そう、そうです。動きがなきゃ、野口体操ではないでしょ」
先生はニヤリとされるのだ。
野口先生のセンスにいつも驚かされていた。
体操の教師にならなかったら、映像関係かデザイナーになっておられたのではないかと思える。
先生の視点はズレない。常に「うごき」が射程距離に入っている。この感覚はほとんど「本能的直感(?)」とでもいいたい質のものだった。
思い返すと、大変さはそっちのけで、楽しかった!なぁ~。
最後の「自然直伝」は、亡くなる前の年の12月に試写会をすませた。
試写会は毎回一番後ろで見ることにしていた。皆さんがどこに関心を示されるのか、どのあたりでダレるのか、どこで笑いがおこるのか等々、後姿に表れる動きを見ながら、編集をしなおすこともあった。
最後の試写会は、ぎりぎりに間に合った感じがしている。
教室でダビングした「自然直伝」をお分けしたときには、先生は病院のベットの中だったように記憶しているが、記憶違いだろうか。
何しろ当時の記憶が錯綜して、はっきりと思い出せない。
いずれにしても動く映像の編集は、サジさんにご苦労をおかけした。
ほんとうに当時の苦労がしのばれる。
ビデオ記録をはじめて、いちばん勉強されたのは野口先生ご自身だった。
最初は抵抗された野口先生だったが、次第に面白くなって授業に工夫をこらされ、映像として惹きつける演出をさりげなくなさったと思う。
私も撮れた映像を見ながら、内容を確認し、そこからテーマを抜き出してラフ編集をすることがあった。
サジさんが次の段階のラフをつくって、野口先生にご覧にいれた。
すると新しい提案がなされて、別撮りのシーンを挿入したりして、だんだんにきめ細かになっていくのを先生も楽しまれておられた。
第一作の「装身具に貞く」では、装身具を別撮りしてこれで決まりかと思ったものを先生が一言。
「装身具に動きがない」
不満を漏らされて、ご破算になる。
そこでサジさんがもう一工夫されて、動きのある装身具映像が出来上がった。
「そう、そうです。動きがなきゃ、野口体操ではないでしょ」
先生はニヤリとされるのだ。
野口先生のセンスにいつも驚かされていた。
体操の教師にならなかったら、映像関係かデザイナーになっておられたのではないかと思える。
先生の視点はズレない。常に「うごき」が射程距離に入っている。この感覚はほとんど「本能的直感(?)」とでもいいたい質のものだった。
思い返すと、大変さはそっちのけで、楽しかった!なぁ~。
最後の「自然直伝」は、亡くなる前の年の12月に試写会をすませた。
試写会は毎回一番後ろで見ることにしていた。皆さんがどこに関心を示されるのか、どのあたりでダレるのか、どこで笑いがおこるのか等々、後姿に表れる動きを見ながら、編集をしなおすこともあった。
最後の試写会は、ぎりぎりに間に合った感じがしている。
教室でダビングした「自然直伝」をお分けしたときには、先生は病院のベットの中だったように記憶しているが、記憶違いだろうか。
何しろ当時の記憶が錯綜して、はっきりと思い出せない。
いずれにしても動く映像の編集は、サジさんにご苦労をおかけした。
「装身具に貞く」では、クローズアップなどの挿入カットを家で別撮りしたのですが、娘達が目敏く見つけ、入れ替わり立ち替わり身につけては鏡の前に立ち大興奮。その事を先生に報告したところ、「それを撮らなくちゃあ!それこそ装身具の持つものの気の力で、子供は素直に反応するんですよ」と言われた。そんな経験があったせいか次女は今ビーズアクセサリー作家でもあります。