びっくりした。まさか30日未明にお亡くなりになったとは、まったく知らず。
偶然にも昨日11月1日付けのブログに「漢字暦2006」の写真と、白川文字学について書かせていただいた。
古代文字を合理的に現代的に解釈するのではなく、「神」「鬼神」うごめくおどろおどろしい世界で読み解くことで、文字学に命を吹き込んだ真の学者だった。
青銅器文化の「饕餮文様」は、白川説でなければその真価はわからない。
野口体操の教室で、野口三千三先生から「白川文字学」の話を伺って、国立博物館へ出かけ、「中国青銅器展」を見られたことは、幸運だった。その後、あれだけの規模の展示にお目にかかっていない。
画数の多い漢字が、身近に感じられるようになったのも、白川説によるところが大きい。甲骨文字や金文に遡れば、文字が意味するところが理解できて、「これでなければならない」と納得するのである。
簡略化することは、漢字の命を殺ぐことになる、ということも教えられた。
「象・音・義」をひとつの文字の中に顕す漢字の力を教えられた。
それ以上に、その時代の息遣いを知らなければ、文字を理解することにならないことも教えられたことは、貴重な体験だった。
野口体操を続けられたのも、漢字の世界が大きかった。もし、野口先生があのようなレッスンをなさっていなかったら、私は、すぐにも止めていただろう。
今の、自分はいない。
早朝は、ブログにいただいたコメント読み、慌てて新聞を取りに行った。
そうだったのか。実は31日に、書きたかったテーマを、11月1日まで待った。偶然とはいえ、シンクロする自分に驚きを隠せない。
「言霊」と「文字霊」を合体したところで、はじめて言葉が力を持つことを、漢字を通して世界に知らしめた学者の死は、哀しい。
「白川文字学」は、これから真の評価を受けるだろう。
哀悼とは、こうした気持ちを表す言葉なのかもしれない。
ご冥福をお祈りしている。
偶然にも昨日11月1日付けのブログに「漢字暦2006」の写真と、白川文字学について書かせていただいた。
古代文字を合理的に現代的に解釈するのではなく、「神」「鬼神」うごめくおどろおどろしい世界で読み解くことで、文字学に命を吹き込んだ真の学者だった。
青銅器文化の「饕餮文様」は、白川説でなければその真価はわからない。
野口体操の教室で、野口三千三先生から「白川文字学」の話を伺って、国立博物館へ出かけ、「中国青銅器展」を見られたことは、幸運だった。その後、あれだけの規模の展示にお目にかかっていない。
画数の多い漢字が、身近に感じられるようになったのも、白川説によるところが大きい。甲骨文字や金文に遡れば、文字が意味するところが理解できて、「これでなければならない」と納得するのである。
簡略化することは、漢字の命を殺ぐことになる、ということも教えられた。
「象・音・義」をひとつの文字の中に顕す漢字の力を教えられた。
それ以上に、その時代の息遣いを知らなければ、文字を理解することにならないことも教えられたことは、貴重な体験だった。
野口体操を続けられたのも、漢字の世界が大きかった。もし、野口先生があのようなレッスンをなさっていなかったら、私は、すぐにも止めていただろう。
今の、自分はいない。
早朝は、ブログにいただいたコメント読み、慌てて新聞を取りに行った。
そうだったのか。実は31日に、書きたかったテーマを、11月1日まで待った。偶然とはいえ、シンクロする自分に驚きを隠せない。
「言霊」と「文字霊」を合体したところで、はじめて言葉が力を持つことを、漢字を通して世界に知らしめた学者の死は、哀しい。
「白川文字学」は、これから真の評価を受けるだろう。
哀悼とは、こうした気持ちを表す言葉なのかもしれない。
ご冥福をお祈りしている。