羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

リヒテルのバッハ

2008年09月07日 19時08分30秒 | Weblog
 突然、ピアノの音が聞こえてきた。
 旧ソ連の名ピアニストのリヒテルが奏でるバッハだった。
 曲は、平均律第一巻、1番の前奏曲。
 40年以上も昔に、初めてリヒテルの演奏をラジオで聞いたとき、からだの芯から揺さぶられた。
 戦慄が走る演奏とはこのこと。
 
 その演奏は、バッハが生きた時代・バロックの音楽ではなく、メンデルスゾーンが生きたロマン派の音楽としてのバッハだった。
 いや、ベルリオーズを思わせるロマン派的空間デザインかもしれない。
 
 低音、和声、そしてメロディーが鳴り響いて、たっぷりな情感溢れている。
 
 いてもたってもいられずレコードを手に入れて、毎晩のようにその演奏に浸っていた。

 加えて同じく第一巻、8番の前奏曲とフーガにいたっては、死の淵を覗き込みながらも、そこに光明すら見ているような畏れさえ感じさせてくれる演奏に酔わせてもらった。
 リヒテルは、グレングールドのバッハ演奏とは、対極にあるような音空間を創造している。
 熱い血が流れる人間として神と対峙し、五感を超えて此岸から彼岸を覗き見ているようなバッハ世界を表出している。
 ピアノの弦は、鳴らしつくされている。
 ペダリングは、教会堂の天井から降り注ぐように鳴り響くオルガンの音を思わせる。
 
「なぜ、急にリヒテルのバッハが聞こえてきたのだろう」
 よくわからない。
 が、あの時、人間にとって‘陶酔’とは、どんな身体的ありようなのかを考えていたような気がする。
 
 身体が潜めるぎりぎりに危うい閾値。
 そこで神に遭遇するような境界領域に近づく感覚、とでもいっておきたい。
 からだの奥にしまわれた音空間は、ときに表層にあらわれてくることがある。
 それは自分自身のからだが心地よく解かれているときのような気がする。
 突然にからだの中心から鳴ってくる音楽。
 
 なんとも不可思議な音空間に導かれたのは、午後のレッスンの途中だった。
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