羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

地下道をぬけると

2006年01月30日 14時33分52秒 | Weblog
「トンネルを抜けると、そこは雪国であった」
 ではなく
「地下道を抜けると、そこは高層ビル街であった」
 このシーンから、そのコマーシャルは始まった。
 真ん中に野口三千三先生、向かって右側に羽鳥、左側に朝日カルチャーの方。

「先生、007みたいに、カッコいい」
 コマーシャルをみて、そういったのは野口ファンの女性。
 それは、野口先生が歩まれる姿の形容だ。
 しかし、何を隠そう、先生のおみ足は「O脚」だった。
 その足を歩き方で、すっきりきれいに歩かれておられたのだ。まったくそんなことは感じさせない歩き方だ。

 1987年、先生は73歳だった。
 記念すべきコマーシャルは、「セゾン・3分CM・人物映像ドキュメンタリー 野口三千三編」。監督は、龍村仁さんだった。
 このCMは、たった一回放送された。
 浅丘るり子主演の2時間ドラマの中に、4人の出演者が登場し、野口先生は最後のご登場だった。
 朝日カルチャーセンターでの授業風景を中心に、野口体操が美しい映像で紹介されたものだが、たった3分に野口体操のエッセンスがすべて入っていた画期的な作品となった。
 龍村監督としては、ライアン・ワトソン編と共に賞をいただいた代表作になったことを後にうかがったときには、野口先生もとてもお喜びだった。

 このコマーシャルは龍村監督の制作会社の中心の仕事で、当然のことに収入の大半をこれに頼っていたらしい。ところが、この野口三千三編を作るときにすでに中止なることが決まっていた。
 途方にくれた監督を、やはりこのコマーシャルが救った。
 
 それからしばらくして「地球交響曲第一番」完成披露試写会のお知らせをいただくことになる。
 京橋にある小さな映画館で拝見した。それから2年おきくらいのペースで、次々に「地球交響曲」がつくられていく。

 先日、「地球交響曲・第六番」制作予定のお知らせをいただいた。
 人の運命というものは、わからないもの。あのコマーシャルが中止にならなければ、この一連のドキュメンタリー映画はこの世に生まれることはなかった。
 苦境を反転させて、新たにより価値の高い映画制作を実現させる龍村仁監督に、多くの人が勇気付けられる。
 
 あれから19年の歳月が流れた。
 
 ……あぁ、光陰矢のごとし……
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 九十九髪 | トップ | 荒ぶる神のごとき調べ »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
セゾン・3分CM (spoonful)
2006-01-30 22:47:45
「セゾン・3分CM」私もアップで出ていました。

手タレですけどね・・・隕石を持つ・・・。

龍村さんのお仕事、映画もいいですが、TV番組の「宇宙からの贈り物・ボイジャー航海者たち(1992)」が好きです。
返信する
3分CM (yama)
2006-02-01 21:20:20
私も腕立てバウンドで参加させてもらいました。今も何故、あの時、先生が私を指名したのかよく分かりません。思い出深い作品です。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事