羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

遊びは遊び

2012年01月08日 09時37分10秒 | Weblog
 昨日のレッスンでは、十二分とまではいかないまでも、独楽を楽しんでいただけたようだ。

「いじわる独楽」「ベンハム+年末福引きのガラガラ玉出し独楽」「飛びたつ(龍・立)独楽」「夫婦独楽」「逆立ち独楽」「試作・新ベンハム独楽」等々。
 江戸の色は人をとりこにする。人の思いをのせた手で回されると、そこに渦が巻き起こり、文様がからまる。
 新作、静止の前に回転方向が逆回りすることで“飛び龍独楽”が運勢を占ってくれる。

 なんでよく廻ってくれるとそんなに嬉しいの?
 なんでよく廻らないとそんなに悔しいの?
 とにもかくにも廻ってくれると、もっと上手に廻してみたくなるのはなんでカナ?
 止められない、止められない、江戸独楽廻し!!

 気がついたら小一時間も“独楽まわし”に興じていた。
 止めていただいたときのザワツキ。大人だからブーイングはなかったが「もっとやっていたい!」のサインがあちこちから出されていた。
「子供がおもちゃを取り上げられるような気分でした」
 そうでしょ、それが独楽の魅力なのよ。大人だってとりこにされる江戸独楽の宇宙に吸い込まれるってこと。
 
 言ってみれば、興じることでホモ・ルーデンスの記憶を取り戻すに違いない。

《人間の行動は、人がそれを本能と混乱と野蛮な暴力とから解き放とうとするとき、はじめて人間の行動となるが、そのことを判定するたしかな基準とは、ほかならぬ遊びの精神ー明るい興奮、誰しもが持たねばならぬ創意、任意の規則の自由意志にもとづく尊重、これら三つの要素の入り混じったものーが存在しているかどうか、である》『遊びと人間』ロジェ・カイヨワ 『動的平衡2』福岡伸一 39㌻からの孫引きをお許しあれ。

 ルーデンス ludens(遊ぶ)は、loose=いい加減、適当、緩いと語源を同じくするとある。

 で、昨日の江戸独楽まわしの印象についてひとつ言えること。
「遊びは遊び、理屈はいらない。理屈を言ってはお終めいヨ!」
 明るい興奮が渦となり、福島独楽の創意工夫のおすそわけに共鳴し、自由意志にもとづく野口体操の動きがみるみる活性化されたようでありました。
 
 よい年明けになりました。
 福島さん、喜び、楽しさ、笑いのムーブメントをありがとう。
 末筆ですが、野口先生、ステキな遊びを残してくださってありがとう。
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