羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ミネラルフェア物語 1 野口三千三先生落下の石〜辰砂へ

2023年05月27日 05時02分04秒 | Weblog
東京国際ミネラルフェアの顧問をしておられた野口三千三先生のお供で、第1回から通いはじめてなんと36年。
うら若き乙女の頃、とまでは言えませんが、私は40歳前だった。
当初は、化石や原石を中心として、キラキラ系の石よりも、マニアックなものが展示即売されていた。

その話は別の機会にするとして、かれこれ36年目にして「辰砂(母岩・苦灰石)」を、鉱物標本開発(テーブル・ブース198)で手に入れた。
このブースの主人・浅田さんとは浅からぬ縁がある。
遡ること30年余り前のこと。
「東京藝大名誉教授・野口三千三氏落下の石!」
注意を促したラベルを体操の弟子が見つけて先生に報告。
驚いた野口先生は謝りに。
「夢中になりすぎて、落として割ってしまったことに気づかなかった。申し訳ない」
つづいて
「ぜひ、その石を買わせてくださいッ!」
頭を下げた。
「いえ、非売品です。これは記念ですし、みなさんに注意を促します」
何回目のフェアだったか年月日は失念してしまった。
それが縁で、浅田さんとの交流が始まったのだった。

野口先生が亡くなってしばらくした頃、浅田さんから宅配便が送られた。
丁寧に梱包された箱を開ける。
「落下の石」
長文の手紙が添えられていた。
読みながら、先生が亡くなった哀しみが身体の底から湧き上がってくる。
思わず、私は、電話をかけてしまった。

**********

昨日、浅田さんのブースで見つけたのが、この「辰砂」中国産である。
これほど綺麗な辰砂にはじめて出会った。
購入に、微塵もためらいはなかった。


ライトを当てると、ルビーよりも赤く輝く。
生命の象徴・生命の具現化とも言える鮮やかな色に変容するのだが、写真には撮れなかったのが残念。(本日の朝カルレッスンに持参予定)

「辰砂」について少しだけご披露しておこう。
まず名前の由来から。
古来から産出した中国「辰州(現・湖南省)」の「辰」にちなんでそう呼ばれるようになった。
殊にこの地方では、豊富に産出することから、昔から不老長寿の薬として服用されていたという言い伝えがある。
服用した筆頭の方は、始皇帝であるという。
それほど、辰砂の赤は霊力に満ち満ちた色なのだ。

翻って、日本の辰砂の利用は、中国・朝鮮からの渡来人によってもたらされた技術によって、弥生時代から始っているという。
例えば、高松塚の古墳にある壁画の赤は辰砂による顔料で描かれている。
奈良や和歌山、中央構造線沿には辰砂は豊富に採掘されていた。

鉱物調査から鉱物応用の技術に長けた渡来人の力を借りて、金属精錬技術は古代国家にとっての「国家的一代プロジェクト」だった。

手にとって辰砂を見続けていると、古代人でなくても輝く赤の色は魅力に溢れ次第にその色に染まっていくようだ。

そういえば、中国からのお土産にもらった辰砂の「朱肉」で押印した赤の色が鮮やかだったことを思い出した。
最近ではほとんど見られなくなって久しい色だ。
高価だものね!
つづく
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第36回 東京国際ミネラルフ... | トップ | 石綿(アスベスト)を手に入... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事