羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

2018 梅雨入り前の近況報告 

2018年06月07日 05時18分19秒 | Weblog
「野口三千三伝」を書くためにお願いしたインタビューや取材が、梅雨入り前に一段落ついた。
 昭和20年代後半から30年代半ばまでに、直接、野口に出会った方、あるいは身近な方から野口の話を聞いていらした方の話を聞くことができた。

 会って話を伺う事前の準備は、主に関連本を読むことや、インターネットでの検索。
 ところが実際に会って話を伺うと、「まさか、まさか」の意外な話の連続である。
 そこからまた資料や本を読んで、話の裏側を膨らまさせる作業が実に楽しい。

 語ってくださる方は、皆さんご自身の半生の中で、野口の思い出を紡ぎ出してくださる。
 それは、聞く側からすると、戦前から敗戦後にかけての歴史・特に文化史の謎解きに満ちている。
 
 お目にかかってから、新たな関係が結ばれる。
 電話やメールでのやりとりが始まり、話がさらに膨らんでいく記憶の花が開くようである。
 こちらもワクワクしながら、点を線に、線を面にし、立体の中で人と人とを繋げることで、もつれていた糸が解かれて、「話の肝」をグッと掴んだ瞬間の手応えは生半可な重さではない。

 過去の時代が、生き生きと立ち上がって風景の中で人が息づき、物が動き、無色が天然色に変化し、現実味を増し、空気に運ばれる匂いを嗅ぎながら、野口の生きた時代が「時代の言葉」で語り出すのだ。

 今年の3月から始めた巡礼の旅は、「モダンダンス」と「新劇」の方々を中心に、インタビューさせていただいた。
 6月5日には、敗戦後すぐに野口が出会った「ノイエ・タンツ」の宮操子のお墓まりで、一つの気持ちの区切りがついた。
 敗戦後のゴタゴタの中で、ちゃんとしてこなかった江口・宮両先生へのお礼と長の無沙汰のお詫びを、70年ほどの時を超えて野口に代わってすることができた。
  
 自己満足かもしれない。
 泉下の野口からは「余計なこと」とお叱りを受けるかもしれない。
 しかし、当時の実情を知ってしまったからには、見過ごすわけにはいかなかった。
「三千三伝」を書き始めて、躊躇いの気持ちの一つのわけが、ここにあったのだから。
 
 墓石を洗い、線香を備えて、手を合わせた。
 墓参を終えて坂道を下る途中で振り返った。
 刺さっていたトゲが嘘のようになくなっている。
 真夏のような日差しに、大木の青々した葉が一層の青さを増している。
 寺全体に満ちている静謐な空気をたっぷりと吸った。
 お参り前に出されたお茶は、身体を清浄にする貴重な一服だった、とその時はじめて気づいた。

 その後、無理を承知でのお願い事は、すべて受けていただけた。

 昨日のこと、5月26日になくした鍵が見つかった。

 そして、高齢者施設に入所して一年を迎えた母が、大変機嫌がよい。
 入所当初からしばらくの間に起こった狐憑きにでもあったかのようなパニック症状はなんだったのか。

 会報「早蕨 SAWARABI」は企画通りに順調に進みそうである。一つの目処がたった。

 さーて、私も書きはじましょうぞ。
 間に合うか? 
 間に合わせねば!
 神様ー、お助けくださーい。
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