土曜日のクラスで、8月末から逆立ちの練習を始めた。
実際に参加者全員を対象に、練習するのは、9月中旬になってからだった。
10月にはいったばかりだから、それほど時間はたっていない。
しかし、「野口ヨガ逆立ち」は、確実につかんでいく人が増えている。
先週などは、野口先生時代から野口体操を続けている女性を中心に、数名の女性が極めて自然に「逆さかさま」の空間を味わってくれたようだった。
「立てた」と嬉しい声と同時に、表情が耀く様子は、見ていて楽しい。
実は、そのときの顔はどの人もどの人も「美人」なのだ! ←これを言わずに何を言おうか。
無理はいけない、立つべく時には「立つべくして立ってしまう」のが、野口体操の目指すところである。それが現実のこととして、私の目の前で起こっていた。
逆立ちにとって大切なこと。
ひとつは「骨盤」の回転がいかに滑らかにいくのか。
包助者は、その回転を生み出す、きっかけを感じさせること。
そして、回転が生まれるように、ちょっとだけお手伝いする。
包助していた彼女のからだ全体の動きを見ていて、包助にとって大切な感覚が身についたことを確信した。逆立ちする人も、包助する人も、力ではない。繰り返すが、感覚」がいかに育つかが問題なのだ。
つまり、「重さ」の方向を、直感的に感じ取る「感覚」が育つことに尽きる。
兎にも角にも、「ローマは一日にしてならず」。日毎少しずつ「感覚を磨く」。
いずれにしても「継続こそ力」そして、「感覚こそ力」。
お願い:立ってしまった方へ。立ったときの感じをコメントしていただけませんか。
実際に参加者全員を対象に、練習するのは、9月中旬になってからだった。
10月にはいったばかりだから、それほど時間はたっていない。
しかし、「野口ヨガ逆立ち」は、確実につかんでいく人が増えている。
先週などは、野口先生時代から野口体操を続けている女性を中心に、数名の女性が極めて自然に「逆さかさま」の空間を味わってくれたようだった。
「立てた」と嬉しい声と同時に、表情が耀く様子は、見ていて楽しい。
実は、そのときの顔はどの人もどの人も「美人」なのだ! ←これを言わずに何を言おうか。
無理はいけない、立つべく時には「立つべくして立ってしまう」のが、野口体操の目指すところである。それが現実のこととして、私の目の前で起こっていた。
逆立ちにとって大切なこと。
ひとつは「骨盤」の回転がいかに滑らかにいくのか。
包助者は、その回転を生み出す、きっかけを感じさせること。
そして、回転が生まれるように、ちょっとだけお手伝いする。
包助していた彼女のからだ全体の動きを見ていて、包助にとって大切な感覚が身についたことを確信した。逆立ちする人も、包助する人も、力ではない。繰り返すが、感覚」がいかに育つかが問題なのだ。
つまり、「重さ」の方向を、直感的に感じ取る「感覚」が育つことに尽きる。
兎にも角にも、「ローマは一日にしてならず」。日毎少しずつ「感覚を磨く」。
いずれにしても「継続こそ力」そして、「感覚こそ力」。
お願い:立ってしまった方へ。立ったときの感じをコメントしていただけませんか。
「継続」は、やってやれないことは無いと思うけど、「感覚」って、どうやって磨くんですか?体育会系で来ちゃったから、音楽やったり絵を描いたりってしてないし。
でも野口体操って、感覚、感覚って言いますよね。「感じて…」って、すぐ言う。アタマを使うっていうのとも違うみたい…???
でも、野口体操では「まるごとのからだ」という言い方をしますね。脳も手足も心も全部ひっくるめて一つの「まるごとのからだ」だと。そうだとすると、「体の感覚」は「まるごとのからだの感覚」なわけで、音楽の…、体育の…というふうには考えないのでしょうか。
一般に芸術系の人は体育が苦手、体育系の人は芸術が苦手と言いますが、そういえば羽鳥先生はピアニストと伺いました。感覚も「まるごと一つ」で、分けないのが野口体操なのでしょうか。