羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

まっさかさまの世界

2005年10月03日 09時32分21秒 | Weblog
 土曜日のクラスで、8月末から逆立ちの練習を始めた。
 実際に参加者全員を対象に、練習するのは、9月中旬になってからだった。
 10月にはいったばかりだから、それほど時間はたっていない。
 しかし、「野口ヨガ逆立ち」は、確実につかんでいく人が増えている。
 
 先週などは、野口先生時代から野口体操を続けている女性を中心に、数名の女性が極めて自然に「逆さかさま」の空間を味わってくれたようだった。

「立てた」と嬉しい声と同時に、表情が耀く様子は、見ていて楽しい。
 実は、そのときの顔はどの人もどの人も「美人」なのだ! ←これを言わずに何を言おうか。
 
 無理はいけない、立つべく時には「立つべくして立ってしまう」のが、野口体操の目指すところである。それが現実のこととして、私の目の前で起こっていた。
 
 逆立ちにとって大切なこと。
 ひとつは「骨盤」の回転がいかに滑らかにいくのか。
 包助者は、その回転を生み出す、きっかけを感じさせること。
 そして、回転が生まれるように、ちょっとだけお手伝いする。
 包助していた彼女のからだ全体の動きを見ていて、包助にとって大切な感覚が身についたことを確信した。逆立ちする人も、包助する人も、力ではない。繰り返すが、感覚」がいかに育つかが問題なのだ。
 つまり、「重さ」の方向を、直感的に感じ取る「感覚」が育つことに尽きる。

 兎にも角にも、「ローマは一日にしてならず」。日毎少しずつ「感覚を磨く」。
 いずれにしても「継続こそ力」そして、「感覚こそ力」。

 お願い:立ってしまった方へ。立ったときの感じをコメントしていただけませんか。
コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の新学期・鞭の音 | トップ | 関西の拠点? »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (com)
2005-10-03 11:49:48
感覚?

「継続」は、やってやれないことは無いと思うけど、「感覚」って、どうやって磨くんですか?体育会系で来ちゃったから、音楽やったり絵を描いたりってしてないし。

でも野口体操って、感覚、感覚って言いますよね。「感じて…」って、すぐ言う。アタマを使うっていうのとも違うみたい…???

返信する
Unknown (見学者)
2005-10-03 13:38:15
羽鳥先生は、大切なのは「『重さ』の方向を直感的に感じ取る『感覚』が育つこと」であると書いておられますね。ここで言う「感覚」は、音楽や絵で言われる「感覚」ではなく、「体の感覚」ではないでしょうか。音楽をやったり絵を描いたりしなければならないことは無いと思います。

でも、野口体操では「まるごとのからだ」という言い方をしますね。脳も手足も心も全部ひっくるめて一つの「まるごとのからだ」だと。そうだとすると、「体の感覚」は「まるごとのからだの感覚」なわけで、音楽の…、体育の…というふうには考えないのでしょうか。

一般に芸術系の人は体育が苦手、体育系の人は芸術が苦手と言いますが、そういえば羽鳥先生はピアニストと伺いました。感覚も「まるごと一つ」で、分けないのが野口体操なのでしょうか。
返信する
はじめての逆立ち (T2)
2005-10-03 21:03:17
名幇助のサポートで下半身が上がった瞬間それまであった重さが消え、初めての逆立ちは、まさに新しい世界の扉を開けた感覚でした。お尻の重さと、首を痛めてしまいそうな恐さで何度も諦めていたのですが、委ねてみようかな?と思った瞬間にフワッと『出来ちゃった?!』という感じでした。安心できる人に委ねるここち良さ、「信ずるとは、負けて、参って、任せて、待つことである。」という野口先生の言葉を思い出しました。ありがとうございました。
返信する
幇助の快感 (ma-tomo)
2005-10-05 08:30:40
幇助者の私もあの快感を味わうことができました。そうです、あの一瞬の無重力感覚。これはヨガの逆立ちを体験した方も、幇助者の私も毎週、毎週の野口体操の重さの方向を探りつづけた結果、育ってきた感覚が実を結んだ成果だと思います。ことヨガの逆立ちはだましのきかない真直ぐの世界、立つということの基本そのもの。立ってしまったその時は重さから解き放たれた感じがなんとも心地よく、からだの中は平静そのものなの。それはそのままずっとそこにたたずんでいられるような・・・。その日、はじめてやってみて、立ってしまったという貴重な方の素直な感想は「卵の中の真直ぐな羽鳥先生の写真」のイメージそのものだと。彼女の中に潜んでいた卵を立てたときの感覚がそのまま素直にからだの感覚として動いてしまったのでしょう。鉛直がわかれば完了形の形で動けてしまうものなのでしょうか・・・。
返信する
Unknown (ネコ)
2005-10-06 00:07:33
野口体操で言う「ヨガの逆立ち」つまり「野口ヨガの逆立ち」と、「ヨガ教室のヨガの逆立ち」の、違うとこって、どこですか?
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事