『群馬大学教育学部百年史』に、野口の記録を発見した。
《本校陸上競技記録》
種 目:円盤投
記 録:三十二米八十五
姓 名:高橋三千三
年 月 日:昭和八年六月二日
場所 :本校
競技会名:渋中対抗
この記録に、『藤口末光 「百米:十一秒四」と「走幅跳:六米六十」』同級生の名前と記録も発見。
たった一度だけ前橋で行われた講演会に、野口の助手でお供したことがあった。
その日の会食の席で、藤口さんにお目にかかった記憶がおぼろげに残っている。
陸上選手として活躍された方のようだ。
お二人は同窓生・級友として切磋琢磨していらした様子が伺えた。
野口曰く「体操と陸上を同時にやっていたが、体操選手としては体が大きすぎ、陸上選手としては小さかった。どっちつかずの体だった。藤口君は、陸上に合っていただろう。
ちなみに、陸上のサイトを見ると、昭和一桁の時代に残っているは、30メートル代から40メートル前半の記録のようだ。
御歳18、野口先生としては、まぁ良い線を言っているのではないだろうか。
《本校陸上競技記録》
種 目:円盤投
記 録:三十二米八十五
姓 名:高橋三千三
年 月 日:昭和八年六月二日
場所 :本校
競技会名:渋中対抗
この記録に、『藤口末光 「百米:十一秒四」と「走幅跳:六米六十」』同級生の名前と記録も発見。
たった一度だけ前橋で行われた講演会に、野口の助手でお供したことがあった。
その日の会食の席で、藤口さんにお目にかかった記憶がおぼろげに残っている。
陸上選手として活躍された方のようだ。
お二人は同窓生・級友として切磋琢磨していらした様子が伺えた。
野口曰く「体操と陸上を同時にやっていたが、体操選手としては体が大きすぎ、陸上選手としては小さかった。どっちつかずの体だった。藤口君は、陸上に合っていただろう。
ちなみに、陸上のサイトを見ると、昭和一桁の時代に残っているは、30メートル代から40メートル前半の記録のようだ。
御歳18、野口先生としては、まぁ良い線を言っているのではないだろうか。
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