羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

夢の夢

2006年01月26日 09時20分32秒 | Weblog
「山城屋」
「ヨッ、成田屋」
「成駒屋」
 三階席から声がかかる。

 それをきっかけに、物語が奥へ奥へと進行する。
 場面は変わって、「北新地天満屋」の第二場。
 床下に隠れ怒りに打ち震え今にも飛び出しそうな思い人・徳兵衛を、思いとどまらせるお初。そのお初の素足が微妙にうごめき、その足を喉笛に当てながら、死を覚悟していることを徳兵衛が知らせる名場面。

 続いては第三場・道行。

「この世の名残り夜も名残り、死にに行く身を譬ふれば仇しが原の道の霜、一足づつに消えていく」
 ここまできて言葉につまって困っていた近松門左衛門に「“夢の夢こそはかなけれ”とでもやり給え」といったのは、俳人岩田涼菟(りょうと)だと「芝居片片」にある。

 解説を読むと、元禄十六年、初演当時、世評を騒がせていた心中事件を書き下ろしたものだという。当時の市井の人々を主人公にした世話浄瑠璃で、その成功がその後次々生まれる世話物の創作のきっかけになったとある。

 昨日、打ち合わせが早く終わったことをよいことに、ちょいと歌舞伎座。
 賑々しく「寿 初春大歌舞伎 中村鴈治郎改め 坂田藤十郎披露」と大看板が眼に入る。
 一幕見席があることを思い出して、列に並んでしまった。
「だって、明日でおわりだもの」
 そう思った人も多いらしい。列の末尾は、歌舞伎座の事務所入り口付近でターンしているほどだった。

 無事、券を手に入れて、急勾配の階段を四階まで上がり、遥か彼方の舞台を見るのも、なかなか乙なもの。
 見回せば、歌舞伎が好きという「通」の御仁、学割で入っているような若い男女たち、外国人も混じっている。
「こういう見方もあるのだなぁ」
 天上桟敷の人となって、芝居に現を抜かした午後。

 外に出ると、4時をすこし回ったところ。
 まだまだ明るい。
「有楽町まで歩いていこう」
 歩きながら、思うことあり。
「私って、根は遊び人かも……」
 耳の奥では、浄瑠璃と太棹が鳴っていた。
 
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