羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

弥生 朔日 朝の思い

2024年03月01日 05時02分03秒 | Weblog
来週3月4日から、「野口三千三伝」演劇編の後半へ。
1ヶ月間で、大雑把ながら道筋をつけたいと思っている。

連日、野口ノートを読んでいると不思議な気持ちになる。
コピーをとってくれた佐治嘉隆さんが、生きているような錯覚を抱く。
亡くなってしまったことが信じられない。
次第に、野口先生も佐治さんも、二人がこの世に存在しないことが嘘のような気がしてくる。
人は死んでもその人の行動が「もの」として残っている。
最初のノートが始まった1960(昭和36)年 60数年前から1974(昭和49)年までを一区切りとして、繰り返し読み込んでいる。
野口先生は46歳、佐治さんは13歳くらいだろうか。
私は10歳だった。

街の記憶を辿ってみる。
ざっくりと
新宿・目白・池袋・上野・本郷、お茶の水・神田。
四谷から三宅坂、警視庁の前を通ってお濠端、有楽町、銀座、そして晴海頭。
渋谷・青山。
西は、荻窪、吉祥寺、国立、立川。
東京の街の記憶と時代の空気は子供ながらに残っている。

野口先生の行動範囲とは多少のズレがあるけれど、時代の移ろいを重ねて街を思い出しながら文字を読みとるその時ばかりは、日常から切り離されてなんとも言いようのない空間と時間の次元に生かされる。
浮遊感とも憑依感とも違う。
。。。。。。言葉が見つからない。。。。。。

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ようやく目次の全貌が見えてきた。
  弥生朔日の朝のこと
コメント
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