リズムは音楽である
音楽は祈りである
祈りは言葉である
言葉は生命である
うねる太鼓とどこまでも終わりを知らない祝詞が全編にわたって鳴り響く
天空への架け橋と思しき長白山
畏れを抱かせる青い天池
中国北東部 雄大な自然に生きる人々は
鮮やかを超えて賑やかな色彩を纏う
神々を讃えるアジアの色である
《満州族のシャマニズムを主題とする民族文化の貴重な映像である》
民俗学者・荻原眞子さんの解説文冒頭である。
『ラストエンペラー』では、紫禁城や絢爛豪華な宮廷文化が描かれた。その帝国を築いたのが満州族。(私、恥ずかしながら、何も知らなかった)
現在の人口1100万人で消滅の危機にあって、満州語を話せる人はもはや数十名だという。(この話に至っては、ほんと、驚き)
さて、紹介が遅くなりました。
この映画監督金大偉氏は、清王朝のファースト・エンペラーでもあるヌルハチにはじまる系譜を引き継ぐ満州族の父と日本人の母との間に生まれた。
この映画では、彼の出自とアンデンティティの探究と自覚の深まりを通して、彼自身の独自の立ち位置を発信した、とは鎌田東ニ氏の言葉。
私は、ロビーのベンチに腰掛けてプログラムを読んでいた。
終わりに近づいたページの写真見て、アッと声を上げた。
野口三千三民族コレクションの中の鈴を思い出したのだ。
その鈴には、根拠なしに中国の鈴だと思い込んでいた。
写真の鈴とよく似ている!
果たして同じものだろうか。
客席について映画を見ながら、祈りの儀式の場面ではサマンが腰につけている鳴物を必死で凝視した。そうするうちに、画面には殷代の甲骨文がおどりはじめる。
犠牲の意味も、血による浄化の意味も、これなのか!
果たして、あの撮影現場では、どんな匂いがするのだろう。
崇高な自然に対して、人々の暮らしや儀式から発せられる匂いは・・・・。
強烈な音とリズム。
鮮烈な色。
想像できないながらも匂いからは、さらなる忘我・法悦が・・・・・。
帰宅して鈴を探し出し、鳴らしてみた。
これまでとはまったく違う音色が聞こえてくる。
天と地の霊との交流を促す音だ、と。
原初の祈り行為は、国境を越え民族を超え、今を生きる私の中にもあるに違いない。
そして野口三千三先生は、この感覚を目覚めさせたくて、これらの鈴を手に入れ、繰り返し鳴らし、味わったに違いない。
愛おしく狂おしく、原初生命体の祈りを、夢中になった甲骨文から喚起される世界を伝えたくて、一心不乱に体操のレッスンに臨まれていたこともあったはず。
思わず、膝を打った夜は、更けていった。