ねずみにとうがらし「干支独楽」を回しながら、“干支がしら” 子年を意識したのは、生まれて初めてのことかもしれない。
「次の子年には、いったい何をしているのか。生きていることさえも・・12年後の姿を思い浮かべることは、できそうにありませんね」
昨年の大晦日のこと、一つ年上の江戸独楽作家の福島保さんがおっしゃった言葉を思い出した。
そうこうするうちに三元日も終わった。
今朝は、帰京する列車の混雑や車の渋滞情報のニュースを耳にしながら、帰省する必要のない自分自身の身に心が向かった。
「歳が開けてから、心が軽いなー」
ここ数年の正月を思い返す。
毎年、野口三千三をたどる群馬への旅を、七草前後にはじめていた。
ある年には、榛名山を背にした三千三実家近くの場所で行われる“どんど焼き”を味わいに行ったこともあった。
年の初めに群馬に出かけることを足がかりにして、その一年間を通じて、本や資料読み「三千三伝」を書き進めるきっかけ作りをしていた。
私の頭の中は、三千三の群馬での暮らしから上京するまでの29年間で満たされていた。
ところが昨年十一月に、会報『早蕨』Vol.6 を発行し、その号で『私家版「野口三千三伝」群馬編』を終えたことで、すっかり空っぽの状態で新年を迎えられた。
それゆえの心の軽さだったに違いない。
蔵の床落ちに伴う様々なことも相待って、ここで一息入れなさい、という啓示でも受けたようであった。
そしてもう一つ、自宅の状況から正月の支度もパスできたことも一役買ってくれた。
毎年のこと迎えていた年賀のお客人とは外で会食。
正月三日は、晴天に恵まれたこともあって、足取りも心持ちも軽く、至って新鮮な体験となっていい時間を過ごすことができた。
1月15日からは蔵の一階のリフォーム工事がはじまる。
始まれば終わる。
そして4月にでもなれば、暮らしや体操の新しいあり方を模索することも楽しいことにちがいない。
人生100年。
とりあえず次の「干支がしら」子年まで、色々なことが起こってもなんとか無事であってくれたら、と祈っている。
幕を閉じる時期も、閉じ方も、自分ではどうにもならない・・・・としても、今年を機に、できることを少しずつやっておきたい。
やりきれなかったことは、誰かに迷惑をかけることになりそう・・・・ごめん。