高円寺駅の北口改札を出て、交番前にある信号機を渡ろうとしたその瞬間、信号は赤色に変わった。
「アラッ、残念ッ!」
舌打ちをするようなはしたない行動まではとらないが、帰宅時間に追われている私は、からだの奥にキュッと締め付ける違和感が走るのを覚えていた。
つい最近のこと、そうした状況に何事も感じないで、ゆったりした気分で立ち止まった。
それだけではない、なんとはなしに西北の空を見上げていた。
ビルの最上階のむこうにひろがる淡いブルーの空に、薄い雲が薄紅色に染まって細く長くたなびいていた。
住宅密集地のこの街でも、何かを忘れさせてくれる夕焼け空が見えるではないか。
このところ何年間も、真っ直ぐ目の前をみてセカセカと帰宅する毎日だった、と気づいた。
まだ二週間くらいのことだが、ほぼ同じ時間に帰宅している。
しかし、気分は全く違う。
気持ちが楽になった。
帰宅してすぐ、母をトイレに連れて行かなくていい、という安堵感。
なんでこんなホッと出来るのだろう。
Kさんから再び内容の濃いメールをいただいた。
読みながら納得である。
刮目である。
書かれていた「レスパイト・ケア」とはこの体験なのだろう、と思った。
さて、懸案事項のうちの一つ、母の寝具の片付けを行った。
本日、6月21日が夏至である。その前日、つまり昨日6月20日は、昼間の時間がいちばん長い夏至と同じだけあるのだとニュースで耳にした。
晴天の上、気温も夏日とあっては、この日に片付けをするのがいちばん。
寝具を干し、布団カバーをその他を洗濯した。干しきれないほどの洗濯物に寝具類をなんとか干し切った。
夕方になっても明るく、気温は高かいままだった。
4時になるのを待って、冷房除湿を入れた部屋に取り込みそのまま放置して一時間待つ。
十畳の部屋が足の踏み場もない状態を見ながら、野口先生から教えられた言葉を思い出す。
「宮本武蔵だ! 何人いても切るのは一人づつよ」
野口体操で鍛えたからだである。軽々と易々と押し入れにしまい込んだ。
ふっくらとした寝具の山で、押し入れは飽和状態であった。
しかし、圧縮してしまう気持ちになれなかったのである。
そしてもっと気持ちに変化が起きてきた。
これまでにかなりの数のものを整理し捨てた。
家のなかのあちこちを片付けている。
まだ躊躇っていたものもある。
その一つに、蔵に入っている桐の箪笥のうち、すでに空にしてあった一竿を粗大ゴミに出そうと思っていたがとりやめにした。
ハンガーを吊るすスペースがある箪笥だ。数少なく残しクリーニングし、ハンガーにかかった状態でもどってきている母の服を、この箪笥にしまっておこう。
もう着ることはないかもしれない。
だととしても箪笥がそこにあって邪魔になるわけではないから、残す決心がついた。
“寝具を丁寧に片付けた”という行為の向こうから、母からのメッセージが届いた。
「私は、まだ、生きているのよ」
デイ・ケアサービスも、シュート・ステイも自宅で受けられる理学療法士の方のリハビリも、頑固に嫌がって拒否してきた母にとっては、まったく納得できず不本意ながら生きる時間かもしれない。
私は、限界だった。
その現実が、実感として感じられた瞬間であった。
祖父から母へ送られた三竿の桐箪笥、洋材の小振りの箪笥、シンガーミシンは、やはり捨てることは出来ない。
修繕不可能なほどに壊れてしまった鏡台だけは、いかんともし難い。
28日に粗大ゴミとして出すことになっている。
さて、「今は、捨てない」という選択ができたのも、レスパイト・ケア、つまり「施設に入所することによって、介護者が自分の時間を持つこと」のお蔭のような気がしている。
「今からではもう遅い、しかし、今からでも遅くはない」野口のことばだ。
負担に感じはじめていたレッスンや授業から、負担感が失せた。
日常の暮らしの時間が、ゆったり流れてくれるようになった。
それもこれもレスパイト・ケアの賜物であろう。
そして
「高円寺にも空があった!」
その気づきもまた……。
「アラッ、残念ッ!」
舌打ちをするようなはしたない行動まではとらないが、帰宅時間に追われている私は、からだの奥にキュッと締め付ける違和感が走るのを覚えていた。
つい最近のこと、そうした状況に何事も感じないで、ゆったりした気分で立ち止まった。
それだけではない、なんとはなしに西北の空を見上げていた。
ビルの最上階のむこうにひろがる淡いブルーの空に、薄い雲が薄紅色に染まって細く長くたなびいていた。
住宅密集地のこの街でも、何かを忘れさせてくれる夕焼け空が見えるではないか。
このところ何年間も、真っ直ぐ目の前をみてセカセカと帰宅する毎日だった、と気づいた。
まだ二週間くらいのことだが、ほぼ同じ時間に帰宅している。
しかし、気分は全く違う。
気持ちが楽になった。
帰宅してすぐ、母をトイレに連れて行かなくていい、という安堵感。
なんでこんなホッと出来るのだろう。
Kさんから再び内容の濃いメールをいただいた。
読みながら納得である。
刮目である。
書かれていた「レスパイト・ケア」とはこの体験なのだろう、と思った。
さて、懸案事項のうちの一つ、母の寝具の片付けを行った。
本日、6月21日が夏至である。その前日、つまり昨日6月20日は、昼間の時間がいちばん長い夏至と同じだけあるのだとニュースで耳にした。
晴天の上、気温も夏日とあっては、この日に片付けをするのがいちばん。
寝具を干し、布団カバーをその他を洗濯した。干しきれないほどの洗濯物に寝具類をなんとか干し切った。
夕方になっても明るく、気温は高かいままだった。
4時になるのを待って、冷房除湿を入れた部屋に取り込みそのまま放置して一時間待つ。
十畳の部屋が足の踏み場もない状態を見ながら、野口先生から教えられた言葉を思い出す。
「宮本武蔵だ! 何人いても切るのは一人づつよ」
野口体操で鍛えたからだである。軽々と易々と押し入れにしまい込んだ。
ふっくらとした寝具の山で、押し入れは飽和状態であった。
しかし、圧縮してしまう気持ちになれなかったのである。
そしてもっと気持ちに変化が起きてきた。
これまでにかなりの数のものを整理し捨てた。
家のなかのあちこちを片付けている。
まだ躊躇っていたものもある。
その一つに、蔵に入っている桐の箪笥のうち、すでに空にしてあった一竿を粗大ゴミに出そうと思っていたがとりやめにした。
ハンガーを吊るすスペースがある箪笥だ。数少なく残しクリーニングし、ハンガーにかかった状態でもどってきている母の服を、この箪笥にしまっておこう。
もう着ることはないかもしれない。
だととしても箪笥がそこにあって邪魔になるわけではないから、残す決心がついた。
“寝具を丁寧に片付けた”という行為の向こうから、母からのメッセージが届いた。
「私は、まだ、生きているのよ」
デイ・ケアサービスも、シュート・ステイも自宅で受けられる理学療法士の方のリハビリも、頑固に嫌がって拒否してきた母にとっては、まったく納得できず不本意ながら生きる時間かもしれない。
私は、限界だった。
その現実が、実感として感じられた瞬間であった。
祖父から母へ送られた三竿の桐箪笥、洋材の小振りの箪笥、シンガーミシンは、やはり捨てることは出来ない。
修繕不可能なほどに壊れてしまった鏡台だけは、いかんともし難い。
28日に粗大ゴミとして出すことになっている。
さて、「今は、捨てない」という選択ができたのも、レスパイト・ケア、つまり「施設に入所することによって、介護者が自分の時間を持つこと」のお蔭のような気がしている。
「今からではもう遅い、しかし、今からでも遅くはない」野口のことばだ。
負担に感じはじめていたレッスンや授業から、負担感が失せた。
日常の暮らしの時間が、ゆったり流れてくれるようになった。
それもこれもレスパイト・ケアの賜物であろう。
そして
「高円寺にも空があった!」
その気づきもまた……。