20日の夜の救急入院から、一週間がたった。
怒濤の日々であった。
何かをしても 何もしなくても 土曜日はやってくる。
朝日カルチャーに出かける前に、母の様子をみて、私の風邪の咳をもらってくれていたが、大したこともなさそうで「いってらっしゃい」と送り出してくれたのが夢のようだ。
病院のベットで、点滴づくめの毎日。
それでも時折リハビリで歩行練習をしているようだ。
もともと自由気ままに暮らして来た人だったから、身体的な拘束はいたたまれないのだろう。
はたして入院して治療を受けている自覚がどこまであるのか、ないのか。
点滴の針を抜こうとして、拘束やむなしのサインを私がした。
母につききりになるわけにはいかない。
しかたがないがかわいそうだ、と思うしかない。
食事はどれも柔らかく、くちゃくちゃなのも誤嚥を避けるための方策だとしても、意識低下はまねくし食欲はわかないようだ。
なにもかもしかたがない。
先ずは体温が平熱に維持されないことには、何事もはじまらないのである。
高齢者が病気になると身体機能がことごとく失われるのに時間は待ってくれない。
失われるのは筋力だけではない。あっという間に、すべての機能が、ガタガタと音をたてて瓦解していく。
どちらが先ともいえないが、判断力、意思の力も失われ、ただ「痛い」とか「不快」とか「自由にして」といった欲求が残っていることだけでも、最後にのこされた生との絆かもしれない。
それをすらなんともしてあげられないことが、忍びない。
今のところ私のことはわかっているようだ。
嫌だ、と何かを拒否しても、私の顔を見て、声をきくとおとなしく柔らかな表情に変化してくれる。
リハビリの先生にも「娘です」と紹介してくれた。
「みさお 傍においておいてね。傍にいてね」
鮮明なことばで告げられた昨日の夕方。
しばらくベットの傍で過ごし、母の荒れた唇にリップクリームを塗って、別れを告げずにそっと病室を出た。
振り切るように病院をあとにしながら、野口先生のときのことを思い出した。
虎ノ門病院の病室の窓から、帰っていく私の後ろ姿をじっと見つめておられた。
20年にわたって、先生の入院生活に深く関わり、最期の時まで、お見送りが出来た。
力があっただけに、今の母よりも大変だったことが多い。
おっしゃることは正しいのだけれど、病気になって入院すれば、我慢しなければならないことばかりだった。
先生と母は身体感覚において非常によく似ている傾向がある。
いたたまれないことは、よくわかるのだが、如何せんどうにもしてあげられなかった。
それもこれも今となっては懐かしい思い出である。
一方で、医者に“最期までジェントルマン”でした、と言わしめた我が父は手がかからなかったのか、というとそれはそれで別の大変があったことも確かだ。
老い、病い、末期……、同じ状況は一つとしてない。
支える人間の負担の大きさ重さと、病に苦しむ人・死に逝く人の尊厳は天秤にかけられない。
難しい、の一言である。
こうしたなかで一冊の本を読み終えた。
『近代天皇論ー「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀 島薗進 集英社新書
幕末から明治維新、そして太平洋戦争〜起こるべくしておこった現代の危機。
歴史のなかで人間の尊厳を問う、なかなかの対談である。
さて、気を取り直して、午後からの朝日カルチャー講座の準備をしよう。
怒濤の日々であった。
何かをしても 何もしなくても 土曜日はやってくる。
朝日カルチャーに出かける前に、母の様子をみて、私の風邪の咳をもらってくれていたが、大したこともなさそうで「いってらっしゃい」と送り出してくれたのが夢のようだ。
病院のベットで、点滴づくめの毎日。
それでも時折リハビリで歩行練習をしているようだ。
もともと自由気ままに暮らして来た人だったから、身体的な拘束はいたたまれないのだろう。
はたして入院して治療を受けている自覚がどこまであるのか、ないのか。
点滴の針を抜こうとして、拘束やむなしのサインを私がした。
母につききりになるわけにはいかない。
しかたがないがかわいそうだ、と思うしかない。
食事はどれも柔らかく、くちゃくちゃなのも誤嚥を避けるための方策だとしても、意識低下はまねくし食欲はわかないようだ。
なにもかもしかたがない。
先ずは体温が平熱に維持されないことには、何事もはじまらないのである。
高齢者が病気になると身体機能がことごとく失われるのに時間は待ってくれない。
失われるのは筋力だけではない。あっという間に、すべての機能が、ガタガタと音をたてて瓦解していく。
どちらが先ともいえないが、判断力、意思の力も失われ、ただ「痛い」とか「不快」とか「自由にして」といった欲求が残っていることだけでも、最後にのこされた生との絆かもしれない。
それをすらなんともしてあげられないことが、忍びない。
今のところ私のことはわかっているようだ。
嫌だ、と何かを拒否しても、私の顔を見て、声をきくとおとなしく柔らかな表情に変化してくれる。
リハビリの先生にも「娘です」と紹介してくれた。
「みさお 傍においておいてね。傍にいてね」
鮮明なことばで告げられた昨日の夕方。
しばらくベットの傍で過ごし、母の荒れた唇にリップクリームを塗って、別れを告げずにそっと病室を出た。
振り切るように病院をあとにしながら、野口先生のときのことを思い出した。
虎ノ門病院の病室の窓から、帰っていく私の後ろ姿をじっと見つめておられた。
20年にわたって、先生の入院生活に深く関わり、最期の時まで、お見送りが出来た。
力があっただけに、今の母よりも大変だったことが多い。
おっしゃることは正しいのだけれど、病気になって入院すれば、我慢しなければならないことばかりだった。
先生と母は身体感覚において非常によく似ている傾向がある。
いたたまれないことは、よくわかるのだが、如何せんどうにもしてあげられなかった。
それもこれも今となっては懐かしい思い出である。
一方で、医者に“最期までジェントルマン”でした、と言わしめた我が父は手がかからなかったのか、というとそれはそれで別の大変があったことも確かだ。
老い、病い、末期……、同じ状況は一つとしてない。
支える人間の負担の大きさ重さと、病に苦しむ人・死に逝く人の尊厳は天秤にかけられない。
難しい、の一言である。
こうしたなかで一冊の本を読み終えた。
『近代天皇論ー「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀 島薗進 集英社新書
幕末から明治維新、そして太平洋戦争〜起こるべくしておこった現代の危機。
歴史のなかで人間の尊厳を問う、なかなかの対談である。
さて、気を取り直して、午後からの朝日カルチャー講座の準備をしよう。