コクトーの詩は、堀口大学の訳で情感が深まる。
《 わたしの耳は 貝の殻 海の響きを懐かしむ 》
原詩よりもことば選びが、ひそやかで、かそけき趣を漂わせ、じーんと染み込む力をもっているから。
貝殻を耳に当てると、波の満ち潮と引き潮の音が聞こえてくる。
ものの本によると耳の奥にひそむ巻貝、つまり巻貝に似た三半器官の音を聞いている。自分の体液のながれを海の音として聞いていることになる……らしい。
からだの中の海の動きに、耳の記憶が連動して、共振し、わたしの魂を過去へと引き返させてくれる……らしい。
暗闇の中、寄せては返す波打ち際から、ほんの少しだけ海に足を踏み入れたときの怖さ。
遠くに突き出た半島の先には灯台が一筋の光を暗闇の海面に投げかけている。
月はない。
振り返ると少し離れたところの自動車道路に、車のエンジンの音が鳴り、ヘッドライトの灯りがかすかに見える。
……なんで懐中電灯をオフにしてしまったの?
それはね海の声を静かーに聞くためだよ!……
わたしの夏休み、と言えば海の記憶だ。
目眩が起こるほどの蝉時雨の細道を通り抜けて、たどり着いたところで太陽のエネルギーをたっぷり吸った砂の熱さに慌てて波打ち際までダッシュする。
水を含んだ柔らかなで滑らかな砂が足の裏にぴったりついてくる。同じ砂とは思えない水の力。
そのままジャブジャブと深みへと歩き続け、背が立たなくなる寸前でつま先で軽く蹴って、からだを伸ばし腕で海水をかく。力が抜けるとふわっと浮いて、深みへとさらに進む。
耳に貝殻を当て波の音を聞くと、時間も空間も失われて行く。そこには海の音が存在するだけ。
そんな思い出が甦ったのは、とあるビルの地下にある施設での体験がキッカケであった。
八月の熱風のなか、地下鉄外苑前駅から千駄ヶ谷に向かって坂を下りる。
5、6分歩いただろうか。そこにお目当ての場所はあった。
DIALOG IN THE DARK
全くの暗闇のなか、設えられた道を歩き、橋を渡り、一軒家に上がり、縁側に腰掛けて遊ぶ。
そこから出て広場でまた遊ぶ。
遊び疲れた子どもたちはのどを潤す。
暗闇から薄明かりへ移動してそして絵日記を書く。
それは夏休みバージョンだった。
ドイツ人哲学者 A.ハイネッケ博士が発案したという1時間半たっぷりの暗闇体験である。
ひとりの全盲の人が、8人・一グループを先導する。
ドイツ人の父とユダヤ人の母をもつハイネッケは、両親が抱えた歴史的背景による苦難を自らも体験する。
『異なった文化が融合するには対等な対話が必要だ』
そう確信して、偏見や差別を超えて、人間同士が交わることはできないだろうか。普段からの先入観や思い込み、当たり前と思っている価値観を、強者が弱者を助ける関係の逆転によって、打ち砕いてみせた。
それがこの暗闇体験なのである。
ドイツで誕生し、ヨーロッパに広がって、今や世界35カ国で開催されている、という。
そして日本でも常設会場が出来たので、いつでも体験できるようになった。
思いましたね。何が大事か。
「それはね、コミュニケーション。ことばを掛け合い、からだを触れ合い、お互いに危険を避けられるように気遣うこと」
で、いちばん大事なことは、ユーモア。
下手するとパニックになる状況の中では、ユーモアの力が人を和ませ、人にゆとりを与え、人から恐さを退散させる力を引き出すってことだった。
見ず知らずの8人が、といっても二人連れが二組もいたけれど、暗闇のなかではいつの間にか打ちとけて、体験を共有したあとの関係の変容は信じられないほどだった。
あたたかい握手を交わして皆さんと別れ、行きとは逆に千駄ヶ谷駅を目指してわたしは一人坂道を更に下った。
その間、ずっと耳の奥では海の波音が鳴っていた。
《 わたしの耳は 貝の殻 海の響きを懐かしむ 》
長いこと忘れていた夏の思い出に、全身が洗われてゆく。
長いこと忘れていた詩心が戻って、全身が波にただよう。
何かを失った後に、満たされ感覚を得るって、とっても素敵だ。
それを教えてくれた君の名は『DIALOG IN THE DARK』
《 わたしの耳は 貝の殻 海の響きを懐かしむ 》
原詩よりもことば選びが、ひそやかで、かそけき趣を漂わせ、じーんと染み込む力をもっているから。
貝殻を耳に当てると、波の満ち潮と引き潮の音が聞こえてくる。
ものの本によると耳の奥にひそむ巻貝、つまり巻貝に似た三半器官の音を聞いている。自分の体液のながれを海の音として聞いていることになる……らしい。
からだの中の海の動きに、耳の記憶が連動して、共振し、わたしの魂を過去へと引き返させてくれる……らしい。
暗闇の中、寄せては返す波打ち際から、ほんの少しだけ海に足を踏み入れたときの怖さ。
遠くに突き出た半島の先には灯台が一筋の光を暗闇の海面に投げかけている。
月はない。
振り返ると少し離れたところの自動車道路に、車のエンジンの音が鳴り、ヘッドライトの灯りがかすかに見える。
……なんで懐中電灯をオフにしてしまったの?
それはね海の声を静かーに聞くためだよ!……
わたしの夏休み、と言えば海の記憶だ。
目眩が起こるほどの蝉時雨の細道を通り抜けて、たどり着いたところで太陽のエネルギーをたっぷり吸った砂の熱さに慌てて波打ち際までダッシュする。
水を含んだ柔らかなで滑らかな砂が足の裏にぴったりついてくる。同じ砂とは思えない水の力。
そのままジャブジャブと深みへと歩き続け、背が立たなくなる寸前でつま先で軽く蹴って、からだを伸ばし腕で海水をかく。力が抜けるとふわっと浮いて、深みへとさらに進む。
耳に貝殻を当て波の音を聞くと、時間も空間も失われて行く。そこには海の音が存在するだけ。
そんな思い出が甦ったのは、とあるビルの地下にある施設での体験がキッカケであった。
八月の熱風のなか、地下鉄外苑前駅から千駄ヶ谷に向かって坂を下りる。
5、6分歩いただろうか。そこにお目当ての場所はあった。
DIALOG IN THE DARK
全くの暗闇のなか、設えられた道を歩き、橋を渡り、一軒家に上がり、縁側に腰掛けて遊ぶ。
そこから出て広場でまた遊ぶ。
遊び疲れた子どもたちはのどを潤す。
暗闇から薄明かりへ移動してそして絵日記を書く。
それは夏休みバージョンだった。
ドイツ人哲学者 A.ハイネッケ博士が発案したという1時間半たっぷりの暗闇体験である。
ひとりの全盲の人が、8人・一グループを先導する。
ドイツ人の父とユダヤ人の母をもつハイネッケは、両親が抱えた歴史的背景による苦難を自らも体験する。
『異なった文化が融合するには対等な対話が必要だ』
そう確信して、偏見や差別を超えて、人間同士が交わることはできないだろうか。普段からの先入観や思い込み、当たり前と思っている価値観を、強者が弱者を助ける関係の逆転によって、打ち砕いてみせた。
それがこの暗闇体験なのである。
ドイツで誕生し、ヨーロッパに広がって、今や世界35カ国で開催されている、という。
そして日本でも常設会場が出来たので、いつでも体験できるようになった。
思いましたね。何が大事か。
「それはね、コミュニケーション。ことばを掛け合い、からだを触れ合い、お互いに危険を避けられるように気遣うこと」
で、いちばん大事なことは、ユーモア。
下手するとパニックになる状況の中では、ユーモアの力が人を和ませ、人にゆとりを与え、人から恐さを退散させる力を引き出すってことだった。
見ず知らずの8人が、といっても二人連れが二組もいたけれど、暗闇のなかではいつの間にか打ちとけて、体験を共有したあとの関係の変容は信じられないほどだった。
あたたかい握手を交わして皆さんと別れ、行きとは逆に千駄ヶ谷駅を目指してわたしは一人坂道を更に下った。
その間、ずっと耳の奥では海の波音が鳴っていた。
《 わたしの耳は 貝の殻 海の響きを懐かしむ 》
長いこと忘れていた夏の思い出に、全身が洗われてゆく。
長いこと忘れていた詩心が戻って、全身が波にただよう。
何かを失った後に、満たされ感覚を得るって、とっても素敵だ。
それを教えてくれた君の名は『DIALOG IN THE DARK』