羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

八月の風……終戦70年

2015年08月23日 11時25分54秒 | Weblog
 長いことブログに書き込みをしてこなかった。
 八月ものこすところ一週間となった本日、記憶が飛ばされないように覚え書きを載せておきたい、とパソコンを立ち上げた。
 めずらしくたっぷりの夏休み中は自宅に引きこもり、連日のこと、本を読み、NHKの戦後70年に因んだ番組を見ていた。
 昨日の朝日カルチャーセンター「野口体操講座」では、そのことについて簡単に紹介しながら話を聞いていただいた。
 八月の風にのってみて、野口三千三先生が生きた時代を、ほんの少しだけ引き寄せられた気がしている。

 レッスンが終わった後、正確に書名と番組名を教えて欲しいと要望が寄せられたので、一般教養書の書名・著者名・出版社名、番組はNHKオンデマンドからあらすじ部分を借用して、ここに貼付けておきます。

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書籍

『永続敗戦論』白井聡 太田出版

『戦争・天皇・国家』猪瀬直樹+田原総一朗 KADOKAWA 角川新書

『「昭和天皇実録」の謎を解く』半藤一利 保阪正康 御厨貴 磯田道史 文藝春秋 文春新書

『賊軍の昭和史』半藤一利 保阪正康 東洋経済新報社

『従属国家論日米戦後史の欺瞞』佐伯啓思 PHO研究所 PHP新書

『日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四〇〇時間の証言より』澤地久枝 半藤一利 戸高一成 岩波書店 現代文庫
 陸軍と海軍の主導権争い。上層部を守って下士官に責任を負わせる。市民や捕虜の扱い。一人一人の命を守る思想欠如。 2009年NHKで放送された。オンデマンドで見ることができます。
 三回シリーズの番組、おすすめ!です。ぜひご覧ください。

宮内庁 『玉音』昭和天皇の肉声 原盤のDVD化

NHK放送番組 オンデマンドで調べた番組紹介の一部を貼付けます。

『海軍反省会四〇〇時間の証言』2009年放送
 第一回「開戦“海軍あって国家なし”」太平洋戦争で亡くなった日本人は約300万人。アジアではさらに多くの人命が失われました。日本海軍のエリートたちはなぜ開戦を決意したのか。彼らが残した教訓とは何か。第1回は、軍令部の元参謀たちが海軍反省会で語った証言から、太平洋戦争に突入していく経緯を浮かび上がらせます。内心は戦争を避けるべきと考えながら、組織に生きる人間として「戦争回避」とは言いだせなくなっていく空気までも生々しく伝えます。

 第二回「特攻“やましき沈黙”」一人ひとりの命について思い至らない。組織を守る.皇族を守る。本当のことをいわない。ジュネーブ条約をしらない。市民や捕虜の扱い。昭和19年(1944)10月に始まった「特攻」作戦。人間が兵器と一体化して敵に体当たりする決死の戦法です。この作戦で戦死した将兵は5千人以上、そのほとんどが20代でした。第2回は、生還の可能性のない「特別攻撃隊」を作った組織の姿に迫ります。太平洋戦争末期、将兵たちの熱意から生まれたと伝えられてきた「特攻」。しかし、海軍反省会では、それより1年以上前から組織的に計画していた事実が赤裸々に語られます。

 第三回「戦犯裁判 “第二の戦争”」トップを守る。天皇に戦争責任が及ばないように守る
 東条英機ひとりに責任を負わせる。BC級戦犯。下に責任をとらせる。
 敗戦後の東京裁判で、文官1人、陸軍関係者6人が絞首刑。一方、海軍関係者は終身刑となり、のちに釈放されました。海軍関係者はなぜ極刑を免れたのか。第3回は、日本海軍・軍令部の元参謀たちが海軍トップを守るため、水面下で組織的に裁判対策を行っていた実態に迫ります。彼らはどんな活動をしたのか。その後、「戦争責任」とどう向き合ったのか。海軍反省会での証言から、日本海軍のエリートたちの実像を浮き彫りにします。

(C)NHK

『密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声』2015年8月1日
取材班は発見された70年前の音源を最新のデジタル技術で修復・解析。その音源の内容は驚くべきものだった。地獄の戦場を生き抜いた日本兵捕虜の壮絶な告白、国への忠誠と葛藤、そして連合軍に筒抜けとなっていた機密事項…。音源の分析から、尋問が行われた連合軍の「秘密尋問所」の場所を特定、知られざる諜報戦の実態が浮かび上がってきた。現代によみがえる「密室の攻防」を通じて歴史の闇に埋もれてきた戦争の真実を伝える。2015年

『一番電車が走った』ヒロシマの奇蹟実話 10代少女が被爆3日後復興の希望をのせて路面電車を運転した昭和20年、広島では戦地に赴いた男性に代わり、少女たちが路面電車を運転していた。雨田豊子は16歳、電鉄会社の家政女学校で学びながら乗務していた。前年、軍需省から引き抜かれた電気課長の松浦明孝44歳は、上司と部下の間での板挟みに悩んでいた。8月6日、広島に原爆が投下。二人は生き残ったが、路面電車は壊滅状態に。会社は本土決戦の物資運搬に備え、復旧を訴えた。大惨事の中、心の葛藤を抱えながら、二人は…。
8月10日(月)19:30放送
(C)NHK/テレビマンユニオン

『あの日、僕らは戦場で 少年兵の告白』アニメドキュメント 知られざる少年兵たち 70年間語られなかった戦争の真実目の前で幼なじみが撃たれ、倒れた。ぼくは彼を見捨てて戦闘を続けた。あの時、ぼくの心は異常だった…」(当時17才)沖縄北部のジャングルで米軍と戦った少年兵がいる。戦後70年経った今、30人余りの少年兵がこれまで秘められてきた事実を語り始めた。少年たちはなぜ戦場に送られたのか? 証言と新たに発掘された資料から、子どもたちが戦争に利用されていった知られざる歴史を、“アニメドキュメント”で伝える。8月11日(火)19:30放送
(C)NHK

『きのこ雲の下で何が』日付を失念(見つけられませんでした)写真が動き出す。

『“終戦”緊迫の7日間』8月15日以降も続いた知られざる日本の危機 戦後スタートへの英断 8月15日の玉音放送で終結したと思われてきた太平洋戦争。しかしその後も各地の部隊が特攻作戦を続け、米軍上陸に備えてゲリラ戦の準備も行われるなど、本土決戦への意欲を高めていた。
一方、日本進駐を進めようとしていた米軍は、日本の部隊が戦闘をやめない事態を想定。武力で日本上陸を行うことを計画していた。再び戦闘が起きれば本土が戦場となり、私たちが知る戦後と違う道を歩む可能性もあったのだ。当時、政府・軍中央の統制は弱まり、空白期間とも言える状況に陥っていた。この危機を乗り越える原動力となったのは、「終戦の詔勅」に向き合い、部下にどう行動すべきかを説いた前線の名も無き将校たちだった。
玉音放送から戦闘が停止するまでの“緊迫の7日間”を追い、今に至る戦後へと踏み出した日本人の姿を見つめる。

『カラーでよみがえる太平洋戦争』最新技術で色彩を復元 真珠湾・特攻・銃後 日本人の激動の記録

『戦後70年 ニッポンの肖像』1、吉田茂 岸信介 2、田中角栄 他

『「特攻」なぜ拡大したのか』爆弾を抱え航空機ごと空母などの標的に体当たり攻撃する「特攻」。昭和19年10月フィリピン戦で陸海軍が始めた特攻作戦は終戦まで加速度的に拡大する。魚雷を改造した水中特攻兵器やボートに爆弾を積んだ特攻舟艇など特攻専用の兵器も次々開発され4500人を超える戦死者を出した。その多くは20歳前後の若者だった。搭乗員の死を前提にしたほかに類を見ない作戦はなぜ拡大していったのか。軍の機密資料と証言をもとに探る。
8月8日(土)22:00放送
(C)NHK

 以上、今日はここまでです。お読みいただきありがとうございます。
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