羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

極楽のあまり風

2008年07月10日 08時47分49秒 | Weblog
 我が家では、暖房はガスストーブに頼っているので、空調を使うのは夏場の冷房だけだ。
 幸いなことに、あまり湿気の多い家ではないので、除湿機としてはほとんど使ったことはない。
 で、毎年、使い始める前に、器具の中の掃除をする。今年はなぜか遅くなってようやく昨日になってほこりを払った。
 
 こうして夏の準備は整ってきたのだが、空調よりも何よりも、早めに準備するものは‘団扇’である。

 以前、野口三千三先生から、藍染のステキな団扇をいただいてから、大ぶりなものの方が、一回の扇ぎでたっぷり風が起こる快適さを知った。
 この団扇は、和紙と竹が良質で軽くて、使い勝手が非常にいい。

 ところが二十年ちかくも使っているうちに、さすがに色やけして年季入った印象になった。そこで新しいものを求めたのが数年前だった。
 新たな団扇は、阿波の製品だ。先生にいただいたものと同じくらいの大きさで藍染のもの。お蔭で軽い。
 先日、町を歩いていたら、同じものを見つけた。そこで買い足したので4枚になった。そこで畳の上に並べてみた。団扇とはいえなかなかに壮観である
 
 これらはもちろんお客人用である。
 ここは下町。家が建て込んでいるので、締め切った部屋で、長時間に渡って話し合うときなど、冷房をつけっぱしだと寒くなりすぎることがある。そこで冷房は弱くして、団扇を併用する事がしばしばある。

 では、実際に日常的に使うのは、どんな団扇かといえば、それはプラスティックの柄に広告がついた配りもの。多少乱暴に扱っても気が楽だが、難を言えば風の起こりが少ない事かもしれない。
 今、手元にあるのは伊藤園の‘お~いお茶’で、以前は‘お手手のしわとしわを合わせて幸せ’のお仏壇の長谷川だった。
 色やけした大ぶり団扇は、居間で使っている。
 という風にそれぞれに使い分けているので、我が家では団扇があっちこっちに置いてあるというわけだ。合計すると十数本を下るまい。
 それらを見るだけでも‘夏だ!’

 とりわけ外から帰ったときや、他家を訪問したときなど、他の人が少しだけ離れたところから、扇いでくれる風は最高だ。この涼しさは、冷房など足下にも及ばない。その風を‘極楽のあまり風’と言う。
 
 人を熱くさせるのも人、人を涼しくさせるのも人。
 ここまで話が飛ぶと、懐かしき過ぎし時を思い出してしまう。 
コメント
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