電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

戦後の経済発展の基礎となった「品質管理」が成功した理由

2023年03月21日 06時00分18秒 | 歴史技術科学
終戦直後の日本経済は、さまざまな曲折を経て、とくに戦争特需もあって、徐々に復興を果たしますが、その際に多くの人に指摘されるのが「品質管理の概念と手法の導入」です。日本製品が「安かろう悪かろう」で悩んでいた時期である1950年に、日本政府が国勢調査のアドバイザーとして米国から統計学のデミング博士を招きます。当時の経済界の主だった経営者たちは、デミング氏の品質管理の講演を聞いて感銘を受け、以後は氏の指導を仰ぎながら業務の改善を進め、1970年代頃までに品質の劇的な改善に成功し、1980年代には「Japan as No.1」と称されるようになります。「デミング賞」という賞の存在と共に、このあたりはテレビでもずいぶん取り上げられました。

ところが、デミング博士が品質管理について講演を行ったのは、日本だけではなかったようなのです。日本での講演に前後して、メキシコ、ギリシャ、インド等でも講演を行いましたが、品質管理について大きな成功を経験したのは、どうやら日本だけ(*1)だそうです。このことは、しばしば日本の教育水準の高さによって説明されることが多いように思いますが、デミング流の品質管理は本質的には統計的な手法によるものであり、教育の水準というだけではどうも漠然とし過ぎのように感じます。識字率が高ければ統計的手法になじむとは言えないでしょうし、コンピュータのソフトウェア開発の例を持ち出すまでもなく、20×20までの九九を暗証しているインド人の数学的能力は相当に高いでしょう。実際の品質管理においては、さまざまな要素を数え、比較整理し、作業工程の中の問題点を調べてどう改善を提案していくかが眼目となるわけで、チームの一人一人が読み書きや計算ができるだけでなく、観察力や注意力、工夫する発想力などの一定の経験があって成果が期待できるのではなかろうかと思います。では、日本における戦後世代のそれらの力は何によって養われたのだろうか。

1960年代の小中学校を経験した私の考えでは、おそらく今よりずっと理科の時間が多かった当時の小中学生のほとんどが経験したであろう、活発な自由研究等の影響があるのではないかと思います。あるいは課外のクラブ活動等も影響したかもしれません。識者はしばしば教育というと授業のことをイメージするようですが、授業は基礎的な力を付ける場であって、身につけた力を試し発揮するのは課外の活動の場合が多いようです。逆に言えば、活発な自由研究がすたれ課外活動がスポーツに偏重していくとき、日本の製造業における品質は必ずしも No.1 ではなくなっているだろう、とも言えます。昨今のさまざまな報道に、どうしてもその懸念がぬぐえません。

(*1): 吉田耕作『ジョイ・オブ・ワーク』(日経BP社、2005年)

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