電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

C.W.ニコル『勇魚』下巻を読む

2008年06月26日 19時18分58秒 | 読書
C.W.ニコル著、村上博基訳、『勇魚』下巻をようやく読みました。この巻は、幕末から明治維新を経て西南戦争にいたる激動の時代を描きます。

松平定則は、幕臣ながら薩摩藩とつながり深く、力と才能がありながら、潔癖で時代に流されてしまう人物、という想定なのでしょう。紀州太地の浜では、三郎がおよしと甚助の子を育てながら、兄妹のような生活を続けています。
中国で海賊とわたりあったフォガティ船長の息子ライアンは、横浜で貿易商として地歩を築きつつあり、そこに妹のスーザンがしばらく滞在しています。アメリカから帰国した甚助が、長州浪士の襲撃から二人を救ったことから、スーザンは甚助にくびったけに。しかし甚助のほうは、太地に残してきたおよしと子どもが気がかりで、スーザンの気持ちを受け入れることができません。

乗り組んでいる捕鯨船の一等航海士としての収入のほかに、ラッコの皮やセイウチの牙その他の交易によって豊かになった甚助は、ライアルとフォガティ船長の後押しで立派な蒸気船を入手し、名実ともにジム・スカイ船長となります。薩摩に向かう途中、紀州沖で機関故障を装い、ひそかに太地の村を訪れます。両親や三郎・およし夫婦、鯨船団の長らと面会を果たし、心の整理をつけますが、それは三郎・およし夫婦の、長年の心の壁を取り払うことになります。また、スーザンと甚助がようやく結ばれることにも。

時代の流れに攫われたと言うべきなのか、西南の役での松平定則の最後は悲劇的です。また、鯨が取れなくなってしまった太地の村でも、親子鯨を深追いしすぎて、船団ごと黒潮に流されてしまう悲劇が起こります。三郎が残した絵が形見となってしまうおよしの境遇が哀れです。一方、カナダで過ごす甚助の晩年は、新田次郎の『アラスカ物語』の主人公の、望郷の晩年に似て、異国での人生の黄昏に、共通な感慨を持ちました。

甚助、周助、三郎の三兄弟の、それぞれの運命の中でも、甚助と三郎の対照的なあり方がたいへんに印象的な、日米の視点から捕鯨の村と幕末から明治へと続く歴史の関わりを描く、長編物語です。充実した読後感が、たいへんに良かった。
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