行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年8月25日(水)の日記

2010年08月25日 | 日記

母親が昨日、受けた白内障の手術は特に問題なし(それが普通で問題があったら困る)。母親は今日、明日は病院へ見てもらいに行くが、自分のほうは特に家で待機している必要はもうない。暑いが家でじっとしていても太るだけだから、でかけることにする。

午前11時ごろに出かけ、南海高野線の大阪狭山市駅まで行く。

昔は狭山遊園前という駅で、南海電鉄系の狭山遊園の最寄駅だった。その狭山遊園は2001年に閉園している。

1980年代ごろまで堺や南海高野線沿線で子供時代を過ごした人には、最初に連れて行ってもらった遊園地が狭山遊園という人も多いだろう。自分は最初に連れて行ってもらったときのことは小さくて覚えていないが、狭山遊園で父方の祖父母と一緒に写っている写真がアルバムにある。そのあと、小学生ごろに大阪地区では最初に水が流れるタイプのブールができて「リバープール」という名前が付けられていた。中学の頃まで夏にプールへ行くというと狭山遊園のリバープールだった。今でも、狭山遊園というとリバープールのことが頭に浮かぶ。

大阪狭山市駅前からの街路樹のある通りが、今は住宅地の道だが、かつては狭山遊園への道だった。

狭山遊園のゲートがあった場所。遊園地跡は今は戸建の住宅地に大きなマンション、それと写真で右のほうになるが災害時の避難場所も兼ねた公園になっている。右下のほうに狭山遊園跡であることを示す記念碑が見える。

これがその記念碑。

これを見ると狭山遊園はそんなに大きな遊園地ではなかったようだ。子供の頃は規模がどれぐらいなんてことは全然気にしなかったが。記念碑の航空写真で分かるが、狭山遊園は大きなため池のほとりにあった。そのため池が大阪府下で一番大きい狭山池

遊園地跡の公園を通り抜けると狭山池の堤防に出る。今は公園の外周に遊歩道が整備され狭山池公園という名前になっていた。

ため池としての貯水量では香川県の満濃池が日本一ということだが、作られた時代は狭山池が日本で一番古い。7世紀のはじめごろ-つまり西暦で600~610年代らしい。大化の改新の30年から40年ぐらい前あたり。大学進学前まで大阪にいたときは、狭山池が大阪で一番大きいため池というのは知っていたが、そんな歴史があるというのは知らなかった。

今日は狭山遊園跡がどうなったかを見るのだけが目的ではなく、2001年に狭山池のそばに開館したという大阪府立狭山池博物館へ行くのがもう一つの目的。池のほとりの遊歩道を歩いて、博物館へと向かう。

博物館の前に来た。

エントランスのところは最初、「?」と思うようは造りになっている。一見、船のドックに見えたが、そうではない。凹型の中央のくぼんでいるところに池が作られている。それだけでなく両側の高いところもまた池が作られている。くぼんだところへ下りると池のほとりにも通路があるが、両側の高くなったところの下にも通路がある。通路の奥が博物館の入り口。

通路の奥のところまで来たところで、両側の高いところの池から下の池へ水が落ち始め、水のカーテンのようになった。

一定時間ごとにためた水をあふれさせて落としているようだ。ため池の博物館ならではの演出なのだろう。

驚いたことにこの博物館は入場無料だった。大阪府も財政は厳しいだろうになかなかの太っ腹だ。ずっと入場無料が続くかどうかは保証の限りではないが。

この博物館の目玉は狭山池の堤の断面をまるごと切り出してきて展示していること。(なお、どこにも撮影禁止とは書いていなかったので1枚写す)

昭和50年代に狭山池の下流の中小河川が大雨で洪水を起こして大きな被害が出たため、平成になってからだが狭山池の貯水能力を高めるために大規模な改修が行われたとのこと。そのとき、7世紀に作られて後の時代にも繰り返し改修が行われてきた堤を、弱いところを削ったり、また新たに土を加えて強く大きくしたりしたので、断面の形が変わるになった。それで、発掘調査が行われて、発掘された昔の木の樋管などとともに切り出したそれまでの堤の断面を土が崩れないような処理を施して博物館内に運んで展示している。

狭山池は堤で川をせき止めて水をためているのだが、日本で最古のダム式ため池でもあるということ。7世紀に堤を作ったときに使われたという「敷葉工法」というのに興味を引かれた。土を盛っていくときに葉の付いた植物の枝を土の上に敷き詰め、その上に土を盛り、また植物を敷き詰めというのを繰り返すことで盛り土が頑丈になるということだ。このやり方は中国から朝鮮半島を経て伝わったらしい。歴史の教科書だと遣隋使とか遣唐使という言葉が登場する時代だ。

土木についての専門的な知識はないから、今の時代に土盛りを作るときにどういうやり方で強くしているのかは知らないが、敷葉工法のことを聞いて、鉄筋を入れてコンクリートの構築物を強くするのと同じような発想だと思えた。

大きな展示物はあるが、博物館自体はそんなに大きくないので全部見るのにそれほど時間はかからない。見終わったら昼飯の時間。大阪狭山市駅から狭山池や博物館の間には小さな喫茶店が一つか二つあったぐらいでファストフード店なども見当たらなかった。ところが、博物館に喫茶室があるのを発見。カレーライスやハヤシライスにスパゲッティぐらいだが軽食もあるようだ。

この博物館を入場無料にしている大阪府の太っ腹に敬服もしたので、こちらの喫茶室で昼飯を食べていくことにする。

喫茶室はガラス張りで狭山池の土盛りダムや博物館の背の高い建物が見られるようになっていた。

和風スパゲティコーヒーフロートで昼飯。

食べ終わり、博物館をもうちょっとだけ見て外へ出たら午後2時近い。1日で一番暑い時間だが、狭山池の周りをぐるっと歩いてみることにする。大阪府下で一番大きいといっても湖ではなく、一応はため池で外周もたいした距離ではない。日焼け止めは塗ってきたし、帽子もかぶっているし、途中で買ったミネラルウォーターのペットボトルも持っているし。

ぐるっと歩いた感覚でいうと狭山池の大きさは、行徳で言えば、野鳥の楽園の干潟+宮内庁鴨場+(干潟と今井橋通りの間の)行徳高校・塩浜団地ぐらいと思えた。だから、野鳥観察舎から今井橋通りに出て湾岸道路との交差点まで行き、湾岸道路を行徳駅前通りとの交差点まで行って駅前通りに入り、さらに千鳥橋を過ぎてから干潟や鴨場側の住宅地の道を抜けて福栄公園まで来て野鳥の楽園に戻り、野鳥観察舎までぐるり一周歩くのと同じぐらいと思う。もっとも行徳の野鳥の楽園は水辺をぐるりと歩けるようにはなっていないが。

狭山池博物館は水をせき止めたダム(池の北端)のそばにある。半時計方向に歩いて、反対側の山のほうから流れてくる川が狭山池に流れ込むところ(南端)まで来た。右のほうのマンションが狭山遊園跡地。

狭山池は水鳥もけっこう来るらしいが、今日はあまり見かけなかった。でも、南端のところから見ると、水辺に鳥が5羽ぐらい集まっていた。

狭山遊園跡の公園まで来て一休みし、大阪狭山市駅に戻って電車で親の家に帰る。狭山池の周りを歩いているときは別になんとも感じなかったが、帰ってから少しぐったりした。暑いところを歩いたりするダメージはこういうふうに出るようだ。少し寝転んでいたら回復したが。