行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2013年3月16日(土)の日記

2013年03月16日 | 日記

前の土日と同じように脱衣場に干した洗濯物は除湿乾燥機の速乾で乾かして、そのあと浴室のカビ取りの続きをやる。 

昼飯は南行徳メトロセンターの一心亭白味噌ラーメン

もやしorゆで玉子の無料トッピングは夜だけだが、昼は半ライスが無料サービスで付く。

浴室のカビ取りは、洗面台の下など、残りの細かいところだからそれほど時間はかからずに終わる。

夕方までは録画しておいた映画を見る。「男はつらいよ」の1969年の第1作。

「男はつらいよ」のシリーズは自分の年代から言って、劇場で見たことはなくテレビかビデオで。第1作は中学か高校の頃、テレビ放映で後半だけ見ている。頭から終わりまで見たことがあるのは1995年の最終作だけ。あとは、沢田研二と田中裕子が結婚するきっかけとなった共演作を途中まで見たことがある。会社でまだ社員旅行があった頃、バスの中でビデオを流したのを見たが、帰りのときで、途中で都内の下車場所に着いてしまった。

第1作がどんなだったか見ておきたいと思ってので、今回、見てみる。

冒頭で寅さん(渥美清)が堤防から眺める江戸川。柴又の対岸の矢切の側から眺めていた。なので、画面に映った橋は最初、どこだろうと思ったが、これは国道6号の新葛飾橋、その向こうの鉄橋は常磐線。

寅さんは矢切の渡しで柴又へ帰ってくる。しかも、ワイシャツにネクタイ姿。これには驚いた。第1作はこんなスタイルだったのかと思った。

でも、これは最初だけ。約30分弱で、見慣れた寅さんのスタイルで登場。ワイシャツとネクタイは20年ぶりの故郷へ帰ってきたという話なので、そのため、寅さんも身なりをきちんとしてきたということなのだろう。

倍賞千恵子演じるさくらは丸の内の会社に勤めるOL(劇中の寅さんのセリフで「BG」というのも出てくる)で、キーパンチャーという設定。

IBMが開発した事務用データ処理のパンチカードシステムか、あるいは1969年ならコンピュータシステムへ、紙の伝票からデータエントリーをするための業務。当時は先端的な仕事というイメージだったのだろう。

こうした機械は自分にはちょっと懐かしくもある。自分が大学でプログラムの初級コースで実習をやり始めた頃(1980年)は、カードパンチの機械が並べてある部屋があって、そこでプログラムをカードに打っていた。コンパイルとリンクと実行をやるプロシジャーを指定したJCLのカードを付け、カードリーダからコンピュータに投入し、結果がラインプリンタから打ち出されてくるのを待つ。パソコンはようやく世に出始めた頃で、学生の実習で使うのは大学のコンピュータセンターのメインフレームだった。

社会人になって最初の1、2年は会社でもデータエントリーにパンチカード(IBMが最初に作った仕組みなので、年配の人たちは「IBMカード」と呼んでいた。)が使われていたが、間もなく端末から電子データでエントリーするように変わって、パンチカードは使われなくなった。

かつて自分が第1作をテレビ放映で見たのは、さくらと博(前田吟)の結婚式の場面あたりから。博の両親がスピーチで、グレて家を飛び出した息子が立ち直ってちゃんとした生活をするようになって結婚することを祝い、親としての至らなさを悔いて詫びて、登場人物たちが涙する場面だが、こういう場面は記憶に残る。

父親役が誰かまったく意識していなかったが、志村喬だった。

CS放送で昔の邦画をいろいろ見るようになって、志村喬が出ている映画もいろいろと見たが、それ以前は、やはりテレビ放映で見た「ゴジラ」をはじめとする東宝特撮映画で博士の役をやっている俳優という印象が強かった。

ちなみに「男はつらいよ」では北海道の大学で農学部の教授という役柄だった。

 

夜は行徳駅前公園の西側そばにあるかぶ家へ行く。

お通しと生ビール。

最初は串焼きで、手羽先ももアスパラ

ビールの次は焼酎。まずは芋焼酎で鬼の隠れ家。食べるほうはインドまぐろ切落

2杯目の焼酎は匠乃甕。そのあと、こちらも匠乃甕。食べ物はホッキ貝酒むし

締めは、なの花からし合え。焼酎ロックは3杯にして、あとは角ハイボール

朝はエアコンの暖房を入れないと寒いぐらい冷え込んだが、どんどん気温が上がって昼間はエアコンなしでも大丈夫だった。だけど、飲んで帰るときは、北風が強くなってきた。明日の昼間は15度止まりで、春の暖かさはイマイチのようだ。