萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

「頂きます」と「ご馳走さま」

2018年05月22日 | 日々の記録
四月下旬に行った「四国お遍路」で教わったことのひとつに食事の際の作法があった。食事を目の前にしてこれから食べる時は合掌して、

 み光のもと我今幸に この浄き食を受く
 謹みてみ仏のご恩を思い 品の多少を選ばじ
 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛
 頂きます

と言い、食事を終えたらやはり合掌して

 我今この浄き食を終わりて 心豊かに力身(ちからみ)に充つ
 願わくばこの身心を捧げて 己が業(わざ)にいそしみ
 誓ってご恩に報い奉らん
 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛
 ご馳走さまでした

と唱えるのである。

これまでの人生を振り返ってみると、食べる前に「いただきます」は大抵言ってきたが、食事後の「ご馳走さま」については、ほとんど言って来なかったのではないか。他人の家でご馳走になったり、先輩などに飲食を奢ってもらった時以外は、食後の「ご馳走さま」は言ってなかったような気がするのである。

現に上記の「食事作法」を遍路以降実践しているのであるが、食前の「頂きますの作法」はちゃんと唱えるのだが、食事が終わった後はいつの間にかボケっとテレビをみたりしていて、かなり時間が経ってから「あっ!いけね!」となることが多いのだ。

これは「ご馳走さま」という言葉をみ仏や他の動植物の命に対しての感謝の言葉ではなく、その食事を提供してくれた人に対する感謝の言葉だと捉えていたからかもしれない。小生に無償で食を提供してくれた人(例えば酒を奢ってくれた先輩)に対していう言葉だという認識が強かったのではないか。奢ってくれた人への感謝はもちろん重要ではあるが、動植物の命をいただいていることに対する感謝の気持ちがあれば、どんな食べ物にも「頂きます」「ご馳走さま」はきちんと言えるはずである。

そして、ありがたく頂戴した後は、それによって得た活力で「誓ってご恩に報い奉る」ようにしなければならない、と上記の「食事作法」は教えてくれているのだ。


<本日の昼メシ:「豚肉そぼろ丼(豚挽肉のそぼろと細かく切ったネギを炒めてご飯の上に敷き詰め、真ん中に生卵を落とし、海苔をちぎってふりかけたもの)」と「大根、ネギ、油揚の味噌汁」。心豊かに力身に充ちたのでありました
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