自家用車を持たなくなって6年目になる。クルマというものは便利であるし、それを所有する喜びというのも認める。また、日本経済には欠かせない商品であり、クルマ関連の会社に関わる企業は何百何千とあり、そこからもらうサラリーで生きている日本人は、家族も含めれば何百万といるだろう。クルマ産業は日本にとって重要な基幹産業である。
ただ、“クルマ”がもたらす弊害も多い。ざっと思い浮かべるだけでも「健康」「社会」「環境」「家計」に悪い影響を与える。
まず、健康問題。クルマに頼る⇒運動不足⇒身体能力の低下、メタボ。クルマという存在がいかに人間という“動物”をその本来の身体能力を低下させ腑抜けにしているか。足の悪くなった老人がクルマを頼りにするのはわかるが、子供から壮年までの健常者が、暑い、寒い、カッタルイ、雨だ、花粉だと言ってはクルマを使ったり、送迎してもらったりでは“動物”としての能力が衰えてしまうのも無理は無い。
次に社会問題だ。クルマがあまりにも日常不可欠な商品になりすぎていることからくる数々の社会的問題は深刻だと思う。交通事故や交通渋滞などの社会問題はもちろんであるが、クルマ依存からくる、社会性の無い人間の増加ということも無視できないのではないか。幼い時から一家共々クルマで移動して育つと、社会的訓練が十分にされず、世間をはばかるとか“恥”というものを気にしなくなるのではないか。電車の中で「平気でペタンと座る奴」「音漏れしまくり、ジャガジャガ音楽を聴いている奴」「化粧をする奴」「ものを食う奴」等の根源がここにあるような気がしてならない。
環境問題は大きい。ガソリンを燃料にしている構造上、クルマの数や使用が多ければ多いほど環境に悪いことは間違いない。二酸化酸素排出量だけでなく、クルマ自体の製造も地球の限りある資源を食いつぶしている。今後、人口の多い中国やインドでクルマの需要が高まってきたら、その影響は計り知れない。
家計問題。いいことの無い商品にしては金がかかりすぎる。大方は借金やローンを組まないと買えない。クルマ所有にかかる金をもっと自己実現の為に投資すればどれだけ、人間性が磨かれるか。
ま、というようなこと考えていて、他人はともかく、そう思うなら自分からやってみよ。ということで、2008年3月に自家用車を手放した。
以後の交通手段は“歩き”と“自転車”と、昨年からは“走り”が加わった。これで、時間的、距離的、体力的に不都合な時には適宜公共交通機関(鉄道、バス、飛行機など)を使う、というスタンスだ。公共交通機関が主ではない。あくまでも、歩きや走りや自転車が主でその補完として公共交通機関を使うのである。この生活形態を「人力生活」と呼ぶことにした。
おおよその目安だが、一回の移動距離が10kmまでは歩きか走り、30kmまでは自転車。但し、急ぐ場合や荷物が多い場合などは近くても自転車を使う。また、トレーニングを兼ねる場合は30kmと言えども走りでいくこともある。
(今年は昨年からの膝痛で思うように走り回れないでいるが…。)