萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

続・八百姫大明神

2007年04月01日 | 散歩

3月22日のブログで近所の史跡「八百姫大明神」について書いたが、その後ネットで調べるといろいろわかってきた。

前回以下の記事を見て疑問に思ったのが、八百姫とは何者かということと、あの松が樹齢150年も経っているようには見えない。ということだった。

<前回の記事>****************************************

「武州大宮町の最北端付近の雑木の中に1本の松がある。八尾姫がここに来た際に松を植えたが、年を取って枯れてしまったので、それを記念するために嘉永7甲寅年(1854年)5月に植えたものだそうである。」

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そこでもう少し調べてみた。八百姫については色々な伝説が書かれているが、以下の記事が要領を得ているので引用する。


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福井県 小浜市 八百比丘尼

「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)は、室町ごろに北陸路など諸国を渡り歩いた尼僧で、八百歳も生きたといはれ、しかし、その容貌は十五、六歳にしか見えなかったといふ。人魚の肉を食べたことで長寿になったと言はれ、村々を巡り歩いては、源平のいくさなどを自分の見たこととして語った。小浜の八百姫明神は、八百比丘尼をまつったもので、里の子供のお守り袋の中身は、八百比丘尼のお姿であるといふ。小浜の姫神の歌も伝はる。

 ○若狭路やしらたま椿、八千代経てまたも越えなむ、矢田坂かは

 小浜の空印寺境内に八百比丘尼が篭って成仏したといふ洞がある。この洞穴は丹後の国まで通じてゐたとも

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「八百歳生きても15~16歳にしか見えない姫」羨ましいというか、怖いというか。ま、その姫が渡り歩いた諸国の村々のひとつがこの場所ということのようだ。

また、以下の記事も見つけた。

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中山道の東側の(さいたま市北区)東大成町と植竹町とのちょうど境に八百姫大明神が祀られている。お堂の中には、嘉永7年に再建されたといわれる「八百姫大明神」の石碑がある。八百姫とは、名前の通り八百歳まで生きたといわれる八百比丘尼のことである。
現在、管理している岩橋さんの話によると、もともと八百姫大明神のある周辺は雑木林で、岩橋さんが引っ越してきた昭和8年頃は丘になっていたそうだ。
そして、この丘の頂きに八百姫の松があったが枯れてしまったため、昭和23年12月2日その松を切って岩橋さんが現在の八百姫大明神の近くに新たに植えたそうである。切った松は、当時2000円で売れたという。

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嘉永7年に石碑を再建し、今の松は昭和23年に挿し木で植えたということか。ナルホドね。それならなんとなくわかった。それにしても、ネットで何でも解ってしまうのですね。この地に松を植えた八百比丘尼もマッツァオですな。


コメント
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