日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「動詞って何?イ形容詞って、ナ形容詞ってどうやってわかるの?」穴が日々見つかります、はあ…可哀想。

2023-04-07 08:09:57 | 日本語学校
曇り。

今朝も毛先ほどの雨粒が、時折、チクチクと指すように降ってくるだけ。なかなか雨らしい雨になりません、湿度は高そうですが。

さて、学校です。

「中学校」も「高校」も今日が「入学式」。

「高校入学式」を明日に迎える二人が、ついでがあって、昨日学校にきました。そのついでのついでに教室に来て顔を見せてくれました。「大丈夫ですか」と聞くと、いかにも自信ありげ。却って、ちょっと心配になります。

「わからなかったら、『わかります』なんてごまかさずに、すぐに『わかりません』と言ってね。そうしないと、君たちの日本語レベルが相手に伝わらないから」。

「N2」から「N1」の間をさまよっているような日本語レベルですと、「知らないこと」「わからないこと」が、かなりあるというのが、なかなか学校の先生や仲間に伝わらないのです。話すだけでしたら、かなり達者なものですし、これで生徒仲間の中に入れば、もっとこういうもののレベルは上がるでしょうから。

それに引き替え、「五教科」の知識はほとんど日本語では入っていませんから、このギャップの大きさに、こちらとしても目が眩みそうになっています。

一方、中学生です。挨拶に来た二人のうち、一人は同じネパール人。彼を見て、「少し話してもいいか」と私に聞き(授業中でしたので)。「ええ」と答えた後、見ていると、…少しじゃなかった。ネパール語ですから、同席していたパキスタン人にもバングラデシュ人にもわからない。ただ言葉の端々から日本語の地名が出てきますし、日本語めいた単語も出てくる。で、私よりは勘が働くだろうと、パキスタンの学生に訊くと、「将来のことを話している」。

「じゃあ、もういい。将来のことなんてまだ早い。まずは目の前のこと。勉強。」と打ち切らせると、高校生になった学生はホッとしたよう。なにせ、相手が中学生では、わかる世界も狭いし、少ないのです。その上、彼には助けになる人がいないようですから、不安な面も多々あるとは思います。が、今、悩んだってしょうがない。まずは、ある程度の日本語力をつけること。それしかありません。

昨日も、「何が『動詞』ですか。何が『イ形容詞』で、何が『ナ形容詞』ですか」と訊く。それを数回に亘り、繰り返させていた私は、一瞬「へ???(じゃあ、今までのは何だったんだ…)」。一昨日は「普通体」と「丁寧体」が漠然としていたようで、それを訊いてきた。

彼は一年間中学校で日本語を学んできたと聞いていたので、まさかそんなことがわかっていなかったとはわからなかった。どうせ、日本語に関する知識や系統性は凸凹しているだろうし、全く入っていないこともあるだろうとは思っていましたが、そんなモンではなかった。ガーンです。

「言葉を学ぶ上で、(特に外国語)文法が大切だ」ということもわかっていなかった。「文法は大切だよ」と言うと、「ネパール語も文法なんて勉強しません。授業はみんな英語だったけれども、英語も文法なんて勉強しません。でもみんな英語が話せます。だから文法なんてわからない」…だから、だから、この学校で、文法、文法と、ガタガタ言われてもナンジャモンジャで入っていかなかったのでしょう。

一昨日は「行く、行かない、行った、行かなかった」と「行きます行きません、行きました、行きませんでした」の説明でしたが、昨日は「動詞」「イ形容詞」「ナ形容詞」とは何ぞやの説明です。いえいえ、形を見て判断する、判断しにくいのは「い」と「(な)」を見て覚える…というくらいのものでしかないのですが。

「随分前に、始めの方のページを見て、何回も説明したでしょ」と言いながら、こちらが迂闊だったと言うより、あきれながらです。そういう知識というか考え方がゼロだったから、何を聞いても左から右、右から左だったのでしょう。

「動詞の活用」、「イ形容詞、ナ形容詞の活用」などを繰り返し練習させていても、当人にしてみれば、やれと言われるからやっていただけのこと。そこから規則性を覚えていくなんてことも考えたことがないから、考えることすらできない。こちらが「動詞はこう活用する、イ形容詞は、ナ形容詞は…」なんて言っていても、かれは内心ではそれってなんのこと」くらいのものだったらしい。ついでに私が一応言っていた、「日本人が習う日本語文法の用語とは言い方、系統性が違うものがあるからね」というのも、ナンジャモンジャだったのでしょう。適当に話したり、聞いたりすることはできるのですが、それは小学校低学年が勉強するのと同じようなやり方で身につけたに過ぎず、つまり学んでいく上で、応用ができないのです。

「こういう規則性があるから、この動詞はこう活用する」とはならなかったのですね。これじゃ、何のために「『カ行』の動詞はこう活用し、『サ行』の動詞は…」なんてやっていたのか、わからないのも当然です。できたと言っても、繰り返し練習していたから覚えただけのこと。これじゃあ、何も考えていないと言われてしまうだけです。

で、慌てて、教科書の「8課」で、「これが『イ形容詞』、これが『ナ形容詞』。そして別のパージを開かせ、これが『動詞』、そのずっと下に書いていて、変化しないのが『名詞』」とやると、すると、「…そうかあ。わかった」。

そんなにすぐにわかるはずもないし、身につくはずもない。こういう所に大きな穴がぽっかり空いていたとは…、ため息をつきながら、穴を埋めていくしかありません。引き継ぐ先生も大変ですね。

日々是好日
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思い出すことが増えています。

2023-04-06 08:58:11 | 日本語学校
曇り…というか、来る時、ポツリ…ポツリってな具合に、小さな雨粒が落ちていました。

今朝も、道端観察です。公園や街路に植え込まれている「サツキ」が一日で蕾を膨らませ、もう綻んでいるものも少なからず見受けられます。今朝、きれいな「名のある花」が飾られている、お宅のベランダに、ひっそりと小さな野草があるのを見つけました。「これって、種が弾け飛ぶ奴だよね」と過去の私と話すのも楽しみ。すると「そうそう、ピッてね」なんて答えてくれます。少しでも歩けるというのはいいことですね。目に刺激が飛び込んでくると、思い出すものも増えてきます。もうそうやって語り合える人もいなくなりましたから、余計にです。

さて、学校です。

昨日の朝、「スズメ」が飛び込んできたのです。前回にした台所のドアから。

朝、鍵を開けて入った時、ムワッという生暖かい空気が押し寄せてきたので、台所の扉を大きく開けたのです。少し経って、どうもその扉のところで音がする。カサコソというか、バタバタというか…。そこで、見に行くと、ほぼ同時でした。小さな小鳥が二羽、勢いよく飛び込んできたのです。向こうも慌てていたでしょうが、こちらも慌てた。

一羽はすぐに方向転換して外に出ていってくれたのですが、もう一羽は、バーンと真ん前の窓にぶつかり…、どうも器用さに欠ける性格のようです。とは言っても、こちらも焦りましたね。以前もこういうことがあって、その時の小鳥は、脳震盪でも起こしたらしく、バタンと気を失って落ちてしまいましたから(しばらく経って、目覚め、無事飛んでいきました)。

今度もそうなるかと見ると、まだまだ元気です。すごい勢いで方角を変え、右側へ、左へと飛び回っています。どうも「真っ直ぐ」しか頭にないみたい。彼(彼女)のために、あっちの窓も開け、こっちの窓を開けと、あたふたして…、はっと気がつくと、静かになっていた。もしかして、もうどこかから出て行ってくれたのかなと探してみると、道路側のカーテンレールの上にチョコンとお止まりあそばしていた。

ところが、私が席に着くと、慌てふためいて飛び出し、例の如くぶつかってしまう。「開けたでしょ。そこから出て行って」と願うように見ていたのですが、二度、三度と失敗する。バタン、バタン。ちょっとズレてしまうのです。そして元のレールの所に戻ってくる。よく脳震盪を起こさないものだと思っても、手助けするわけにもいかないし。やっと出て行ってくれた時には本当にホッとしましたね。

まあ、早く来るといろいろなことがあります。

随分前のこと。コウモリが飛んできたこともありましたっけ。トンボも飛んできましたね。これは子供の頃捕まえたことがある、大きな「キンヤンマ」か「ギンヤンマ」でした。感動して、大きく窓を開け、逃がしてやりましたが。それにどこから入ってきたのか、「ネコ」が押し入れで、寝ていたこともありましたっけ。毛のある生き物が苦手な人が一人いて、その人の悲鳴で、みんながそれに気付いたのです。

ここは、日本橋まで30分と、便利なところにあるのですが、野鳥保護区も近くにあり、自然もある程度は残っています。まあ、彼らの棲み家に人間が押し寄せてきたのですから、彼らの方が多いのも当然でしょうけれども。ただ海の近くなので、山の近くに住んでいる人たちのように、大木や清流と近所づきあいができるということはないのですが。

以前、スリランカの学生が、デパートに行ったことがあると言ったので、訊いてみると、どうも近くのスーパーがデパートであると思っていたらしい。こちらは思ってもいなかったことなので、別に注意することはなかったのですが、それで、「あれはスーパーです。行徳にはデパートがありません」と言うと、変な顔をされたこともありましたっけ。

それに、その頃は渋谷のNHKセンターに見学をしに何度か行ったことがあるのですが、帰りに、スリランカの学生が、「ここが東京ですか」と訊いたのです。どうも行徳が東京だと思っていたらしい。で、渋谷と行徳の違いに愕然とした…らしい。こちらは行徳が都会であるなんて思っていませんから、そういう気分で授業を進めている。彼らは彼らでこの行徳が日本の中心地、大都会東京の一部であると思っている。近くの小さなスーパー(一応、三階か四階建てなのですが)をデパートだと思っている。

「ヘビ」の大きさにしても、「イヌ」を怖がる理由にしても、相手の事情を知らなければ、話は進みません。互いに思い込みによる勘違いで平行線を辿るしかなくなるのです。相手を知ろうと思って、受け入れる際には彼らの国のことを調べてはいるものの、実際の生活や彼らの考え方、感じ方などは、接するまでわからない、否、一年二年ではわからないことだらけと言ってもいい。知り合うことが深くなればなるほど、違いに気付くものですから。

と言っても、長くとも二年が過ぎれば、彼らは次の道へ進んでいきます。まあ、困った時には親切なスタッフを頼りに顔を出しているようですが。本当に「便りのないのはよい便り」。仕事やついででこの近くまで来たといって、顔を出してくれるのが一番です。

日々是好日
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新入生はいいですね。キラキラしています。…いえ、別に二年生がキラキラしていないというわけではありませんが。

2023-04-05 08:07:13 | 日本語学校

曇り。もう「花曇り」とは言えませんね。最後に咲いたような「サクラ」でも、嫩葉の中に花びらが隠れているような状態になっていますもの。

今朝もゆっくりと歩きながら、足元の草花を楽しんできました。道端に、子どものころから慣れ親しんできた野の草花があるとホッとします。華やかな花というよりも、「ままごと」で使われるような花々のことです、目が留まるのは。伸びた「スギナ」を見ては、「『ツクシンボウ』を見損ねたと残念がり、「ペンペングサ」や「キュウリグサ」を見つけては、胸をなで下ろしする。

刈られ、「きれいに」されていたら、思い出す機会もないでしょう。思い出ごと、ごっそりと消えてしまうかもしれません。

何事によらず、「きれいにする」という言葉には、どこかしら残酷さが感じられてしまうのです。

さて、学校です。

新しく学びたいとやってきたのは、七人。全員女性です。年齢も幅はありますが、おそらくは問題ないでしょう、一度教えた限りでは。皆、こちらをきっちりと見て勉強していました。最初の「ひらがな」で苦労しそうなのは、一番若い人のようですが、少しずつ変わっていってもらわなければなりますまい。彼女だけが「ひらがな」が書けずに来ているのです。このハードルを無事越すことさえできれば、わかいのですから何とかなるでしょう。「ひらがな」が書けて来ている人は、学ぶ上で、最初はかなり楽になります。

「覚えるのはすぐにできるけれども、『手を動かす』方は苦手」という人が、東アジアから来ている人を除けば、少なくはないのです。問題は、馴れぬ手を動かすという作業を、苦にせずにできるかどうかということなのです。

留学生の場合、そういうときでも、力づくでできるのですが、相手がそうではない場合、「力づく」はかなり難しい。相手に合わせなければならない場合も出てきます。

勿論、ゆっくりとその気になるのを待つ時もあります。これは頑張れる人ですね。年齢がかなり高かったり、あるいは仕事でそれほどの時間が割けなかったりした人の場合です。最初から、「ああ、面倒だから、覚えない」となった人には、(クラスに入っている場合)それなりに上手になってもらうしかありません。

留学生は、なにせ、一年か二年の間で、進学か就職か(帰国する人は、まず、いません)をさせねばなりませんから。

かつては、「『ひらがな』は、どうにかなったけれども、『カタカナ』は全く覚えられない」という人も来ていました。留学生でです。彼らの国に行って面接しても、うまく選べなかった頃のことです。

「勉強したい」と言っている人を、間に立っている人を信用して入れるしかなかったのです。日本人同士でも人を選ぶのは難しい。まして外国人を、言葉が通じないのに選ぶというのは、本当に難しいことでした。入れて、教えるのは私達ですから、能力はともかく、学びたいと真剣に思っている人を入れたいと思い、彼らの国に行って面接していたのですが、結局、「う~ん、わからん。どうすればいいのだ」みたいな感じになってしまうのです。

そう本気で思っている人と、そうではない人との区別が付かなかったのです。しかも、本気で思っていない人の方が、日本語が話せたりしていたのです。

留学生でさえなければ、相手に合わせてやることもあります。できるというか、合わせざるを得ないといった方がいいのかもしれませんが。

私達でもそうでしょう。他国に行って、買い物くらいができればいいと思っているような時です。ただそういう場合、学校に行って、基礎からきちんと学んでとはならないと思うのですが。

ところが、そうではない人もいるのです。こういう日本語学校に来て、「私は話せればいいだけだから、それだけやってくれ(クラスに入って)」とか、「漢字だけわからないからそれだけ学びたい(クラスに入って)」とか言う人もいるのです。そう言われても、ちと困る。それはもう一斉授業ではできないことなのです。特に「話せるようになりたい」という人は、つきっきりでの作業がある程度必要になってきますから、外の学生を蚊帳の外に置いて、その人だけを見るというわけには行きません。その場合は「個人授業ですね」ということになる。「それは高いから嫌だ」となると、「日本人の友達を見つけてしてね」ということになる。もっとも、そういう場合、彼らの日本人の友達は「会話がしたいのね、じゃあ」とばかりに、ため口ばかりを使い、変に達者な日本語で話せるようになったりする。当然のことながら、仕事では使えません。

結局、「急がば回れ」で行くしか無いと思うのですが、どうしても目先のことを考えてしまう。こちらから見れば、集中してやれば、「損して得取れ」ると、思うのですが。

新しい人たちが来たので、ついつい思い出話となってしまいました。大丈夫、新しい人たちは頑張れるでしょう。

日々是好日
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「サクラ」は終わりましたね。次は足元の「美」探しです。

2023-04-04 08:24:38 | 日本語学校
晴れ。

昨日の強風で、近くの「サクラ」の花はほとんど散ってしまったようです。「サクラ」の花はかなり散ってもそれほど姿が変わらないのに、今朝見ると、若草色に変わっていましたね。既に若葉の季節になっていました、一日で。

「フジ」が満開になるまでは、足元に目をやり、草花の「美」を楽しむことになりそうです。足元がかなり華やかになっていますから。

既に「タンポポ」は既に綿毛を飛ばし…ているかと思えば、まだまだ大丈夫とばかりに存在を強く押し出している鮮やかな「黄」も見られます。毎週行く病院の庭には、「ワスレナグサ」や「ヒアシンス」、「ムズカリ」などが健在で、そばの「チューリップ」こそ口を大きく開いてしまっていますが、そばにはいつの間にか「アヤメ」がすっくと立ち上がり、蕾を膨らませていたりする。そういえば、「レンギョウ」や「モクレン」などは今年、見かけていませんでした。自転車が使えないと不自由なだけでなく、こういう楽しみからも遠ざかっているのが身にしみて感じられます。

さて、学校です。

「できる」「わかる」と、すぐに言う学生に手を焼いています。「できる。100点だ」と言って、テストを受け、不合格。「このときは、やり方がわからなかったから(できなかった)。もうやり方がわかったら、次は大丈夫。100点をとるぞ」。で、一応合格はしたものの、ぎりぎり。「きちんと見る。慎重に対処する」ということが、なかなかできないようなのです。

『みんなの日本語(Ⅰ)』レベルであったなら、周りの日本人と接する機会がある程度ある人であれば、なんとなく表面上はしのいでいける。ところが、その時に「わかる、わかる。できる、できる」で流していっていると、『Ⅱ』に入った時点で、はたと行き詰まってしまう。

彼らの国では「わからない」ということが安易には口に出せないのかしらん。時々、そう思うことがあります。弱さとか、幼さとかがマイナスになり、無意識のうちにそれを避けようとしてしまう。

「できないなら、できないと言っていいよ。それどころか、言った方がいい」と口を酸っぱくして言わねばならない場合もあるのです。勿論、休みがちであったり、指示したことをせずに言う場合は別ですが。その場合は、下のクラスでもう一度やるか、補講で頑張るかしなければならないのですが、休みがちであったり、言われたことができない人は、補講してやるといっても来たがりませんから、結局、やる気のある人が、習っていること以上を求めてやってきたりする。損ですねえ。

こういう「損得勘定をせよ」というのは余り言いたくないことなのですが、ついつい「あのね。学費はね、これだけでしょう。これで『+1万円』分、身につけられる人もいれば、勉強しなくて、通っても通わなくても結果の出せない人もいる。どっちが得?どっちが損?もったいないでしょう」。

留学生は、ある程度のことがわかって(日本に)来ていますし、若いので、言えば、その時だけでも「そうか」となります。ところが、在日で通ってくる人の中には、「座っていれば日本語が上手になるはずだ」の人もいます。最初、私が会った(相談で来た)時には、「勉強したいというのはあなたの気持ち?」と尋ねます。「どうして日本語を勉強したいと思ったの」とも。つまり、そのきっかけを尋ねたりします。本気かどうかを訊くのです。

在日の人はたいてい「いろは」ができなくて来るのですが、一人で来るということはまず無く、付き添いで日本人か、或いは日本語ができる夫か妻か、知り合いが付いてきたりするので、その人たちの口を借りて訊くのです。

「時には勉強はしたくないけれど、やれと言われて来た」と言う人もいますし(その時には、したくなったら来てねと答えます)、「勉強したい」と強く言う人もいます。ただそういう人の中には、日本にいるから日本語を勉強したとは思っているが、努力は嫌だという人もいます。「ひらがな」を宿題にし、覚えるように言った段階で、「覚えられない」と、勉強することが面倒になったりもする。

学校で座っているのは苦にならないけれども(友達ができてお喋りできますから)、覚えろとか言われるのが嫌なのでしょう、努力しなければなりませんから。

ただ、必死に学びたいという人と、そういう人たちが一緒になると、ちと大変、最初のうちは複式授業だなと軽く見ていられても、「課」が進んでいくと、それはにっちもさっちもいかなくなるでしょう。「形容詞」の活用が出てきて、「へっ?」となったかと思うと、しばらくして動詞の「て形」、「ない形」、「辞書形」なんぞが出てくる。こりゃあたまらんでしょうね。

面白いことに、そういった場合、だいたいがやめる好日がある。すると同国人がその人がいなくなった後は、○○国人は、頑張れないのだと非難したりする。もっとも、そう言える人は頑張り屋さんだから言えるのでしょうけれども。

まずは、頑張るしかありません。

日々是好日
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新学期が始まります。

2023-04-03 08:59:46 | 日本語学校

晴れ。

街の桜も、うっすらと周りに溶け込むような色合いになっています。若葉の間に隠れるように花びらが見えているからでしょうか。青空に映えて、こういうのもいい。

さて、今日から新学期が始まります。「新学期が始まる」と言いましても、参加するのは留学生ではなく、今、日本にいる人たちだけです。ネパールの人が三名、スリランカの人が一名、ミャンマーの人が二名。併せて六人。おそらく、「いろは」からの人が大半でしょう。

「『N4』まで勉強した、…話では」の一人(ネパール人)は、「ひらがな」を見ても、「はてな?」という顔つきをしているし、何を聞いても無反応なので、こちらが首を傾げてしまう。「来られるなら、上のクラスの授業を聞いていてもいい」と言うと、来た。…けれども、すぐにクラスにいるネパール人と大声で話し始めた…。最初は遅れてきて大きな声で話し始めたので、「静かにしなさい」と言うと、なぜか睨む。なぜ注意されたのかわからない…ように見える。すると、同国人が、ネパールではこれが普通だというのです。が、まあ、そういうことはないのでしょうけれども。というわけで、こちらも心の準備が必要になる。留学生の場合とは違う心の準備が必要になるのです。

まあ、何やかにやで、おそらく、勉強したことがあるというのは、ミャンマーからの二名だけでしょう。どちらにせよ、「いろは」から始めますから、いいのですけれども。

この人たちも留学生が揃えば、彼らと共に勉強することになりますから、きちんと勉強しておかなければ大変だと思うのですが、なかなか、そう思ってくれる人がいないのです。「勉強したというのは、学校に来て、座っていること」と思っている人も少なくないのです。

日本に関する情報どころか、日本語に関する情報も耳にしたことがない人は、日本語には、「ひらがな」、「カタカナ」、「漢字」といった三つの文字があるということも知りません。で、まず「ひらがな」だけで、アップアップしてしまい、中には、覚えることをやめて、耳と口だけに集中するという人も出てきます。

留学生はそれでは済みませんから、きつく言うこともできるのですが、在日の人の場合、適当にやる気で来ていることもありますから、それができない…場合もある。で、まずはクラスを見、様子をうかがってから、こちらの態度を決めるしかない。とはいえ、彼らの中には大学進学を目指すという人も含まれているようですから、あまりにこやかに楽しくばかりとは行きますまい。どちらにせよ、最初にがつんとやるか、じわじわとやるかクラスを見てから決めるしかありますまい。

ということで、今日から新学期が始まります。

日々是好日

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