日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

新入生はいいですね。キラキラしています。…いえ、別に二年生がキラキラしていないというわけではありませんが。

2023-04-05 08:07:13 | 日本語学校

曇り。もう「花曇り」とは言えませんね。最後に咲いたような「サクラ」でも、嫩葉の中に花びらが隠れているような状態になっていますもの。

今朝もゆっくりと歩きながら、足元の草花を楽しんできました。道端に、子どものころから慣れ親しんできた野の草花があるとホッとします。華やかな花というよりも、「ままごと」で使われるような花々のことです、目が留まるのは。伸びた「スギナ」を見ては、「『ツクシンボウ』を見損ねたと残念がり、「ペンペングサ」や「キュウリグサ」を見つけては、胸をなで下ろしする。

刈られ、「きれいに」されていたら、思い出す機会もないでしょう。思い出ごと、ごっそりと消えてしまうかもしれません。

何事によらず、「きれいにする」という言葉には、どこかしら残酷さが感じられてしまうのです。

さて、学校です。

新しく学びたいとやってきたのは、七人。全員女性です。年齢も幅はありますが、おそらくは問題ないでしょう、一度教えた限りでは。皆、こちらをきっちりと見て勉強していました。最初の「ひらがな」で苦労しそうなのは、一番若い人のようですが、少しずつ変わっていってもらわなければなりますまい。彼女だけが「ひらがな」が書けずに来ているのです。このハードルを無事越すことさえできれば、わかいのですから何とかなるでしょう。「ひらがな」が書けて来ている人は、学ぶ上で、最初はかなり楽になります。

「覚えるのはすぐにできるけれども、『手を動かす』方は苦手」という人が、東アジアから来ている人を除けば、少なくはないのです。問題は、馴れぬ手を動かすという作業を、苦にせずにできるかどうかということなのです。

留学生の場合、そういうときでも、力づくでできるのですが、相手がそうではない場合、「力づく」はかなり難しい。相手に合わせなければならない場合も出てきます。

勿論、ゆっくりとその気になるのを待つ時もあります。これは頑張れる人ですね。年齢がかなり高かったり、あるいは仕事でそれほどの時間が割けなかったりした人の場合です。最初から、「ああ、面倒だから、覚えない」となった人には、(クラスに入っている場合)それなりに上手になってもらうしかありません。

留学生は、なにせ、一年か二年の間で、進学か就職か(帰国する人は、まず、いません)をさせねばなりませんから。

かつては、「『ひらがな』は、どうにかなったけれども、『カタカナ』は全く覚えられない」という人も来ていました。留学生でです。彼らの国に行って面接しても、うまく選べなかった頃のことです。

「勉強したい」と言っている人を、間に立っている人を信用して入れるしかなかったのです。日本人同士でも人を選ぶのは難しい。まして外国人を、言葉が通じないのに選ぶというのは、本当に難しいことでした。入れて、教えるのは私達ですから、能力はともかく、学びたいと真剣に思っている人を入れたいと思い、彼らの国に行って面接していたのですが、結局、「う~ん、わからん。どうすればいいのだ」みたいな感じになってしまうのです。

そう本気で思っている人と、そうではない人との区別が付かなかったのです。しかも、本気で思っていない人の方が、日本語が話せたりしていたのです。

留学生でさえなければ、相手に合わせてやることもあります。できるというか、合わせざるを得ないといった方がいいのかもしれませんが。

私達でもそうでしょう。他国に行って、買い物くらいができればいいと思っているような時です。ただそういう場合、学校に行って、基礎からきちんと学んでとはならないと思うのですが。

ところが、そうではない人もいるのです。こういう日本語学校に来て、「私は話せればいいだけだから、それだけやってくれ(クラスに入って)」とか、「漢字だけわからないからそれだけ学びたい(クラスに入って)」とか言う人もいるのです。そう言われても、ちと困る。それはもう一斉授業ではできないことなのです。特に「話せるようになりたい」という人は、つきっきりでの作業がある程度必要になってきますから、外の学生を蚊帳の外に置いて、その人だけを見るというわけには行きません。その場合は「個人授業ですね」ということになる。「それは高いから嫌だ」となると、「日本人の友達を見つけてしてね」ということになる。もっとも、そういう場合、彼らの日本人の友達は「会話がしたいのね、じゃあ」とばかりに、ため口ばかりを使い、変に達者な日本語で話せるようになったりする。当然のことながら、仕事では使えません。

結局、「急がば回れ」で行くしか無いと思うのですが、どうしても目先のことを考えてしまう。こちらから見れば、集中してやれば、「損して得取れ」ると、思うのですが。

新しい人たちが来たので、ついつい思い出話となってしまいました。大丈夫、新しい人たちは頑張れるでしょう。

日々是好日
コメント
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