日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

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「補講、最後の日」。

2012-08-17 10:59:42 | 日本語の授業
 晴れ。ギンギラギンの太陽が、カッカカッカと照りつけています。

 それでも、木陰はまだましなのです。木陰にいると、スウッと涼しい風が吹き抜けていくようで、ホッとするほど。やはり、真夏の時とは違います。お盆も過ぎたことですし、残暑なのでしょう。

 で、「補講」も、今日で最後です。やっと最後の日を迎えたというのが正直な気分。念のため申しますと、これは学生の気分ではありません(おそらく彼らもそうでしょうが)私たちも、なのです。

 七月に来たばかりの学生達を二、三週間くらいしか教えないで、そのまま放ってしまうというのも酷なことです。少なくとも、動詞の「て形」くらいは、わかってから休ませた方が、(休み中)動きが取れるだろうということで、始めた今年の「初級Ⅰ」の補講。

 例年ですと、この「補講」というのは、大学や大学院を目指している学生の多い、一番上のクラスでやっていたことなですが、今年は、このクラスも、勉強よりも学費を稼いだ方がいいということで、なし。代わりに、一番下のクラスでやることにしました。

 「初級」とはいえ、中国人が多かったりしますと、彼らは伝手を頼ったり、自分で面接に行ったりして、それなりに(休みが長くとも)有意義に過ごせるのですが、どうも最近の学生達は、ダラダラと過ごしてしまうようなのです。

 そして、新学期が始まると、(日本語が)真っさらの状態の人たちが、それでもすまし顔で教室に座っているということになり、教師はまた一から教えなければならないのかと頭を抱えるということになってしまう…。勿論、全員が全員そうだというわけではありません。けれども、この学校では一クラスの学生数が10人くらいですので、それが3人いても、途端に授業が重くなるのです。

 そうは言いましても、この、「補講」の意味が判る学生が、このクラスに、どれほどいることでしょう。学校としては、この補講で実際にお金が儲かるわけでもなく、教師にしても、自分で自分を忙しくしているだけなのかもしれないのですが(2週間経って新学期になった時、また「みんな忘れた」で、始めなければならないかもしれないのです)。

 勉強する習慣があり、しかも能力のある学生であれば、誰が教えても同じでしょう。自分で自分を律することが出来る人は、どんな環境におかれてもどうにかなるものです。

 ただ、普通に頭がいいだけの人に(国で自分より頭がいいとか、成績がいい人を知らないという「お山の大将」的な人なのですが)に限って、人よりも(自分の)いいところしか見えませんから(なぜか、自分の出来ないところに気がつかないのです。それで何回も同じ間違いをしてしまうと言うことになるのですが)、そういう学生は最初から自慢の鼻をへし折ってやらねばなりません。が、これが、案外難しいのです。彼らは、自分を信じること大で、他者の言が届かないのです。もしかしたら、多少、ナルシストの気があるのかもしれません。まあ、人というのは、だから、どのような時でも幸せでいられるのでしょうが。

 また、努力していても、それほど上達が目に見えない学生には、その都度、最初を振り返ったり、将来のことを語りかけたりして気が萎えないようにしてやらねばなりません。もっとも、これらは、勉強のために来たという学生についてです。

 とはいえ、最初から、日本に来るのだけが目的であって、来てしまえば、もう目的が果たされたわけで、あとはアルバイトを探すだけになってしまうような学生にも(拾い上げることが出来るなら)、「今後」を見据えた話を折に触れ、していき、建設的な生活をさせていかなければなりません。

 日本語を、「あいうえお」と教えるだけが、こういう、日本における日本語学校の役割ではないのです。

 そうは言いましても、この七月生の中にも、それほど勉強する覚悟のない人たちがいないわけでもないのです(来られない理由がわかっている学生は別です)。「もう、日本に来てしまった。お金があれば、皆で騒いで使ってしまう。後は適当に学校に来るけれども、別に国にいる時から勉強なんて好きではなかった。国にいてもしようがなかったから来ただけ。来たからといって、そんなに勉強をする気もない。皆とワイワイガヤガヤ騒げるなら、学校へ行ってもいいけれども、そうでないのなら、あまり行きたくない。だれかが誘ってくれれば、そちらの方へ行った方が面白いから、学校へ行かない」。

 なるほど、そうだろうなとも思います。もうみんな大人ですから(二十歳は過ぎています)、勉強する習慣を日本でつけるということも難しいでしょう。やりたいことが見つかっているなら、嫌いな勉強でも、頑張れるでしょうが。ある意味では、かなりかわいそうだと思います。こういう人たちは、30分なり、60分なりを、机についてジッとしておくというのもきついことのでしょう。「(やって、)ああ、上手になった」とわかるまで我慢がきかないのです。だから、いつも中途半端になるのかもしれません。

 子供の時に、この「成功体験」がないと、人は大人になってもなかなか我慢がきかないものです。その意味では、気の毒な人たちなのです。こういう人たちは、どの国にも、どのような社会にもいます。

 だから、何か自信を持てるようなもの、好きなことを探し出す手伝いをしてやりたいのですが、本人にそうしたいと思う気持ちがなければ、これも難しいことなのです。

日々是好日
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