日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「その国のやり方が合う人もいれば、合わない人もいる。これはどこの国でも同じこと」。

2012-08-13 16:43:54 | 日本語の授業
 「立秋」を過ぎると、吹く風までが優しく感じられてきます。「ヤナギ(柳)」の葉が陽に灼かれて白く巻き込まれています。風が吹くと、葉と葉が擦れ合って、カサカサという乾いた音まで聞こえてきそうです。「イチョウ(公孫樹)」の葉も青々と茂り、いつの間にか、下の方の葉が赤黒く縮れ始めています。秋の気配をいち早く嗅ぎ取っているのかもしれません。

 さて、夏休みの補講、第二週目です(今週で終わりなのですが)。土曜日に治療院からの帰り、金曜日に「ずる休み」をした学生とばったり会ってしまいました。彼は金曜日のことなどすっかり忘れて、「先生」と、いかにもうれしそうにニコニコ顔。これでは叱れません。彼の隣にいた一人が、私の表情を見て、それと悟ったらしく、小さな声で注意を促します。すると、ハッとして、如何にもばつの悪そうな顔をしてみせます。

 もうしょうがないので、月曜日はどうしますかと言いますと、「えっ、月曜日?」。「月曜日とはなんぞや」という顔です。まさか1日休んで、そのせいで、曜日を全く忘れてしまったというわけでもありますまいに。

 もう一人が慌てて、「昨日の夜、宿題をしました」と言い訳めいた口調で言います。まだ「11課」に入ったばかりですから、うまく日本語を操れません。それでも、彼らは一応11課くらいまではやってから(日本に)来ているはずです。けれども、このベトナムの学生達は、「ナットテスト」の「四級」に合格していても、みんな、初めて日本語を勉強しますというような顔をしているのです。勿論、「(日本語の)音がとれない」ということも関係しているのでしょうが、10人いたら、7、8人は、ボウッという顔で反応せず、甚だしきに至っては「ひらがなとはなんぞや」という雰囲気でいますから、なかなか…手強い…のです。

 かといって、「悪い」というわけではありません。「子供っぽい」というか、「幼い」というか、「勉強の習慣がほとんどついていない」というか、つまり、そういう種類の問題なのです。特に高卒の学生達は、まるで「小学生」のように、一から教えてやらねばならないので、ため息をついてしまいます。

 「はい、教室に入って席に着いたら、教科書を出します。鉛筆と消しゴムを出します。」 から始まって、遅れてきた人が来た時には、「黙って入ってきます。他の人も楽しそうに話しかけません」。

 遅刻してきた学生と、なぜか、そこでひとしきり(教室にいる者との間で)、賑やかな挨拶が始まってしまうのです。授業の最中であるにもかかわらず、邪魔されて苦虫を潰している教師も、中断させられて、あっけにとられている他の国の学生たちも、そっちのけです。そして、如何にも世間話のように、話し、笑い声まで上げています。

 授業が始まったらルールがあるだろう、会社や工場で働く時にもルールがあるだろうと思うのですが、注意すると、その時は「はい」と言って黙るのですが、1分と持ちません。直ぐにだれかが一言二言何か言い、それからまた話は続いていきます。「あなたが来る前、教室でみんなは何をしていたのですか」と言っても、多分、ピンと来ないでしょうね。

 今まで勉強していたのが嘘のようです。遅れてくる学生が一人ならまだしも、二人、三人と続くと、その度に授業は中断します。彼らは誰もそれ(来れば話すということ)を不思議だとは思っていないようすです。送れてきた者も、遅れてきて、皆の邪魔をしてしまい申し訳ないとは思っていないようで、まるでスター気取りで大いばりで入ってきます。

 それで、黙る習慣がつくまで(時には三ヶ月、悪くすると1年ほどの期間)、「はい、遅れてきた人は黙って入ってください。話してはいけません。席に着いている人も、その人に何も言いません。前を向いて勉強を続けてください」。時々、こういうことを何度も繰り返していると、ここはどこかいなという気になってきます。

 昔、中国の福建省から、(学校に)入れてみると、明らかに出稼ぎ労働者風で(蔑視しているのではありません。親しくなると彼らの方が下手な大卒者などより、よっぽど仁義に厚く、常識が通じていたりするのです)あったことがありました。

 まず、机の前にきちんと座るということができないのです。いえ、出来はするのですが、30分ほどで「先生、これは大変」。つまり、もう少し自由に座っていいかという意味なのですが、いいと言いますと、これまた今度はこっちが大変。自由というのも、私たちが思っているような教室内の自由を遙かに超えた自由になってしまいます。それで、こちらも、知恵がついてきますから、困ったなという顔をして、「本当はいけません。けれども、ちょっとならしようがありませんね」と言う。そうすると、そんなものかと思ってくれるらしく、それほど羽目は外しません。時々は年長者が若いのに注意してくれたりします。彼らの言葉で、「先生が困っているじゃないか。だめだ、そんなことをしては」というふうに。

 このベトナムの学生達はそれとは違うのです。一応高校は出ているはずですから。ところが、勉強の仕方とか、教室内での態度とかがそれほど教育を受けていないように思えないのです。何かあると、直ぐにわあっと教室が膨張する、抑えられないのです。直ぐに騒ぎ出す。多分、一人か二人であればそれができないでしょうが、三人を超えると、もう自制できないのです。彼らの国でやっていたようにやってしまうのでしょう。

 それで、聞くと、「いや、ベトナムの先生は厳しい」と言います。けれども、私たちから見ると、その厳しさというのは、私たちが当然こうでなければならないと考えるものとは全く違った方面での厳しさに過ぎぬのではないかと思えるのです。

 10分も20分も遅れて入ってくるとすれば、他の国(ミャンマー、中国、スリランカ、インドなど)から来た学生は、「済みません」と言い、身を縮めるようにして、コソコソと空いた席に座ります。ベトナムの学生達のように、遅れてきたら、いつもより大きな声で皆と挨拶しなければならないとも、教室内に素手にいる学生であったら、それに応じて話さなければならないとも思っているようには見えないのですが。

 これは数が多いからとか、少ないからというのとも違うような気がします。スリランカの学生が大半を占めていた時、遅れてきた学生がいると、皆、彼の顔を見て、それから私の顔を見ます。私の表情が厳しかったら、何も言いません、遅れてきた学生も、教室内にいる学生も。

 ラテン系で賑やかなことが好きなフィリピンの学生でも、来日後最初の頃は、何か言いたそうな顔をしているのですが、私の表情に気づくと、目で相手に挨拶をするくらいで、何も言いません。

 これがどうして出来ないのかなと思います。普通は三ヶ月か四ヶ月、長い時には卒業する頃になっても、まだワアワアやっているのです。最後はこちらとしても、勉強の邪魔になる、うるさいとしか言えません。二年間も同じことを言わせるなと思うのですが、卒業生の中には、そういう人もいたのです。

 これは、日本語のレベルによるのかもしれないと、最初は考えていましたが、「N3」に合格していてもそれをやる人がいたのです。それで、どうも、この国の人たちには、他の国の学生達のように、日本語のレベルが上がると日本人の様子に慣れて、こういうことはしなくなるという理屈が通らないのかもしれません。

 今、この「Eクラス」には、ベトナム人学生が5人。下手をすると卒業時までこのことがわからないかもしれないなと感じられる人が1人。前よりはずっと楽になっているとはいえ、一人でもベトナムの時のままの人がいますと、(もともとベトナムで育った人たちですから)、直ぐにその人に反応して騒ぎ始めます。

 困ったことですね。私も年が年ですから、以前のように体力でやり合うことができません。それに、多分、この人達は、それを変える必要もないような気もするのです。人はそれぞれにあった土に根を生やし、花をつけるもの。授業に支障がない限り、今はそれほど厳しくしないというか、しなくとも人はそれぞれにその人にあったところで、それなりの花を咲かせられるものだという気がしているのです、

 頑張りたいと思っている人の方に、その分、力を注いだ方がいいと思うようになっているのかもしれませんが。

日々是好日
コメント
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