曇り。
自転車を走らせている途中、「スギナ(杉菜)」の姿があちこちに…。今年も「スギナの子」に気づかないまま、夏を迎えようとしています。思えば、「ツクシ(土筆)」を親しく見、「ツクシンボウ、見っけ」等と喜んだのはいつのことでしたか。
土・日は、皆と同じように、じっと家の中に閉じ籠もり、狸穴の「タヌキ」よろしく生活していましたが、今、平日は、いつもよりも一時間程度、遅く家を出、また一時間から二時間ほども早く帰るという生活を送っています。
本当は、皆さんと同じように、ずっと家の中にいたいのですが、外国人相手、しかもまだそれほど日本語が上手には話せない、聞き取れないという人たちがいますと(しかも、所属機関は我々です)、それもなかなか思うようには参りません。
一日おき、午前くらいは、彼等に来てもらいませんと、彼等の様子がまるでわからないのです(ほとんどは近くに住んでいます)。既に日本の会社で働いているならば、会社が次々に指示を出してくれるでしょうから、安心なのですが。
日本語もわからない、日本の状況もわからないとあれば、勢い、同国人に頼ってしまいます。頼りになる人たちがいればいいのですが、経験からいいますと、彼等は自分たちが簡単に納得できる流れにしか乗れない(これは当然と言えば当然です。来日後、長くて1年ほどしか経っていないわけですから)。それがいつか集団となるのが怖い。声を出す人が、経験もあり、常識的であるとは限りませんから。つまり、ベトナム人であれば、ベトナム的思考で、どんどんやってしまう傾向にあるのです。
春休みが終わり、新学期が始まった最初のころは、ハンカチの持参の有無を調べても、「ハンカチって何?…だれも持っていなかった…。マスクの着用、「どっちでもいい?」準備していた臨時のマスクを着用させました。手洗いも大変でした。なにせ、トイレから出ても手洗いの習慣がない人もいたのです。…二日ほどは、きちんと洗えるかどうか見張っていました。手を抜くと、「洗った、洗った」と言って、そのまま入ってくる学生もいたのです。
とはいえ、あれほど適当だった学生が、今では、「コロナ」の感染を防ぐための三密やら、マスクの着用、手洗いの意味やらがだいたい判るようになって、言われなくても、手を洗ってから教室に入ってきています。
ただ、どうしても、自分たちだけですと、集まって騒ぐ傾向にある国の人たちもいるわけで、皆が皆、日本が現在置かれている状況がわかるわけではないのです。
「上のクラス」であったら、それでも、二度ほど録画を見せ、説明を加えることが必要でした。「下のクラス」は、まだはっきりとは分かっていないような気がします(一日おきですし、きちんと来ない人もいます。多分、他の学校が休みだから、自分も同じようにしてしまうのでしょう。こういうタイプは、同国人に引きずられてしまいますね。他の学校の友達の言いなりになりがちなのです。ヒアリング力がないというのも、その一因でしょう)。
しかしながら、5月の連休までには、徹底を図っていないと、気が緩み、他の人たちまで、同国人に誘われて、パーティなんぞを開くのではないか。それが危ぶまれます。
連休の始まりまで、あと二回ずつあります(今日は「Bクラス」です)。今日は「10のポイント」か、「散歩の時の注意」「スーパーへ行く時の注意」のどちらかを見せ、説明するつもりでいます。明日は「Aクラス」にもそれを見せるつもりでいますが、今日、家に帰ってから、録画を確かめて、また考えることになるでしょう。
一応の「日常」が戻るまで、気が抜けません。
日々是好日