日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「カニは己の甲羅に似せて穴を掘る」。

2011-07-25 10:46:40 | 日本語の授業
 昨日の夕方、久しぶりに汗をかきました。ずっと青空が拡がっていました。それでも五時を過ぎる頃から、急に黒雲が増え、夕立かとも思わせたのですが、空は怺えたようです。

 ところが、驚いたことに、その時、一斉に「セミ(蝉)」が鳴いたのです。ほんの一時でしたが、あれは、確かにセミの声でした。しかも、一匹や二匹ではありません。耳がキュ~ンとなるようなセミの大合唱だったのです。

 夏は、いかに暑く、耐え難くとも、こう来なくてはいかん。そうじゃなくては夏じゃない。少しホッとしました。とはいえ、明日はどうでしょう。セミはちゃんと鳴いてくれるでしょうか。

 福島では、夏休みに入った子供達を北海道へ疎開(?)させる親御さん達が増えています。少し前までは、政府が言っているからと、待つことに耐えられた人達が、今ではもう耐えられなくなっています。もう政府や役人、専門家を信じられなくなっているのです。

これは不幸なことです。人々にとっても政府にとっても役人にとっても専門家にしても。人々の信頼を勝ち取るためには、今、何を言わなければならないか。どういう言葉遣いをしなければならないか。要人達にはこの面でのブレーンはいないと見えます。だから、不安に駆られた人々は、自分の力で情報を得ようとし、お互い、助け合いながら、自己防衛に走っています。

 高禄を食む議員達はこのことをどう思っているのでしょう。己の不甲斐なさに涙するような人間はいるのでしょうか。それとも相変わらず「あいつが悪い」と、すべて、他人の責任にし、「あいつさえ替えれば、すべては終わる」とでも脳天気に、(今でもそう)考えているのでしょうか。

 こうなってしまったら、もう「誰がやっても同じ」のように見えているのです。本当は違うでしょうが。単なる首のすげ替えでことが片付くというような代物ではなく、自民党時代からの灰汁が凝り固まってどうしようもなくなっているのです。剥がれないでしょうね。

 だいたい自民党にしたって、「私たちが間違っていました。皆さんにご迷惑をかけている根本的な原因も仕組みも、私たちが作りました。ごめんなさい」を言っていませんもの。首をすげ替えたって、結局は、元の木阿弥になってしまうのでしょう。こういう人たちのやり方に従うというのですから。

 長期政権とはそんなものです。皆はその淀みに溜まる悪臭に耐えきれなくなって、素人を撰んだのですが、素人はやはり素人。町くらいの広さのことなら対処できても、大事(おおごと)には向きません。それに、ブレーンがいないのです。判らない時には、どうしたらいいのか、誰に聞いたらいいのか、その知恵もありません。あの人に聞いたらいいとか、頼んだらいいと教えてくれる人も周りにはいないのでしょう(そうとしか思われません)。きっとこれまで、自分が処理できるような簡単なことしか、したことがないのでしょう。(ある程度普通の仕事をしたことがある人間だったら、だれでもできるようなことでしょう、それは。なにも議員になって高給をとる必要なんてないのでしょう)。

 「『カニ(蟹)』だって己の甲羅に似せて穴を掘る」と言いますのに。己の甲羅の大きさが判らないような人に、国民は運命を託していいのでしょうか。

 普通の人間は、ある程度「身の程」を知っています。ここまでなら、できるなという勘が働くのです。ですから、自分には無理だと思ったら、手を引くか、逃げにかかります。小学生や中学生ではないのですから。高校や大学生になっても、果敢に未知の出来事に向かっていける人を、私たちは一目置き、「あの人、すごいね」などと言うのです。そんな人は多くはありませんから。

 ところが、いつの頃からか、「誰でも総理になれる」などという神話が、日本に生まれてしまいました。「あんな、自分よりもずっとレベルの低いヤツだって総理になれたのだ。ならば自分も」と、何をするためにその職に就くかではなく、ただ就けるなら就きたいと思う人が増えてしまったのです。

 もちろん大半が「石」でありましょう。「玉」は、そういう世の様を見れば、身を退いてしまいます。日本には、まだまだ、能力のある人が自己の能力を発揮できる場所がたくさんありますから。そしていつの間にか、選挙権はあって、民としての権利は行使できるけれども、いったい誰に投票すればいいのだみたいなことになってしまったのです。

 政治力のある人は、どんなことをしても合法的に金を集めることは出来るでしょう。以前、「勝手連」なるものが生まれ、この人という人を(当人の承諾もなく)選挙に担ぎ上げたことだってあったのですから。

けれども、そうしても、せいぜい県レベルのもので、国会議員はだめなのです。古株の議員に迫力や、数で負けてしまうのです。そういう人達は「数の論理」を声高に叫びながら振り回します。本来の意味とは似て非なるものになってしまっているというのに。

 「権力」というのは魔物です。それに心を奪われてしまった人は、恐ろしいほどの凄みを持ちます。これは俗に言う「オーラ」などではありません。気色の悪いものを総集めにして、それに厚顔ふりかけを振りかけても、まだまだできあがりません。生身の人間が太刀打ちできるような代物ではないのです。

 もっともこういう「権力の権化」みたいな「怪物」は、最近では殆どいなくなりましたが。こういう権化がいれば、影があれば光もあるということで、これに反対する力も現れてくるのでしょうけれども。どっちも小粒だから、ぱっとしないのです。しかも本人は自分が小粒だとは思っていないのですから、手に負えません。

 日本が「安全」になって、勉強なり、働くなり、各自の望み通りのことができる社会になれば、わざわざ触れ回らなくとも、人は集まってくると思うのですが。

日々是好日
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