日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「非漢字圏の学生について」。「癒してくれた卒業生」。

2012-03-23 12:53:04 | 日本語の授業
 曇り。空は厚い雲に覆われています。けれども、どこかしら優しく和らいで見えるのは、それが春の雲だからでしょうか。

 昨日の午後は、非常に慌ただしく過ぎていきました。卒業生の中に一人、大学を除籍になった者がいて、そのことで学校の教員が一人、奔走していたのですが、一昨日は大学の方へ行っても、卒業式で会えない(本当は、事前に連絡したとき、会ってもらえるということだったのですが)、それで昨日もう一度出直して話を聞いてきたのです。

 その折りに「除名処分取り消し願い」は、通知後十日以内ということを、初めて知って、急遽、駅から連絡が入りました。それで、私が、学校に戻って来た卒業生を指導して書かせることになったのですが、午前中は9時から12時半まで「Eクラス」で授業していたので、私の頭は、「初級Ⅰ」の20課状態。普通の状態に戻すのに、少し時間がかかりました。

 彼女らが戻ってきたのは、一時過ぎ。それからまず卒業生に、書かねばならないことを自分で書かせ、それを私がまとめていくことにし、直ぐに作業に取りかからせました。もう一名の教員は学校からの「お願い」を書きます。

 しかし、その前に、教員二人で「お願い」の文章の長さを相談します。「だいたい原稿用紙二枚ほどがいいだろう。あまり長すぎても読んでもらえないだろうから」。ところが、学生が書いたものを読んでいるうちに、彼女が日本へ来るに至った理由から、来日後の学校での授業の様子、また友人達とのやり取り、そしてその大学に受験するにあたっての指導の時のことなどが、そこかしこから浮かび上がって、走馬燈のように流れ、溢れてきました。

 こうなると、もうなかなか自制できません。どうして日本へ来たのか、日本へ来るまでにどれほど待ったのか、そして来日してからの努力のことなど、一つ一つを書いておかねば気が済まなくなりました。

 彼らは、確かに日本ではアルバイトをしなければ大学にも行けませんし、生活していくのも難しい。けれども決して貧しい家の子ども達ではないのです。母国ではお金に困ったとか、買いたい物が買えなかったとかいう覚えは全くない人たちなのです。

 「学費がなかなか払えないから、貧乏人だろう、金がないのだろう。だからアルバイトを紹介してやればうれしがるだろう、助かるだろう。そう思っていろいろしてやったのに、感謝もしない、ふといヤツだ」というのは、彼らの心持ちを理解していない考え方に思われるのです。

 彼らが、かつての日本人や、かつての中国人のように「働き、同時に勉強できるか」というと、それは無理なのです。そんなことをせずとも何でも手に入ってきた…そういう育てられ方をしている人たちですから、アルバイトをしているといっても、それは彼らにしてみれば、もういっぱいいっぱい、ぎりぎりの、限度状態で働いているのです(大した時間働いていないように見えても)。

 本当に南の国から来た人達、特に日本語学校に、きちんと勉強してから入ってきたような人たちや、彼らの国で大学を出てから来ているような人達は、勉強は、ある程度、頑張れるけれども、今、働いている以上に働けと言われても、その方が金が儲かっていいだろうと言われても、無理なのです。疲れてしまって、体力が続かないのです。

 しかも、権威に阿らないでも生活できてきた人たちですから(もちろん社会に出たことのある人たちは違います。そういう人たちなら、「ここでは誰が偉いのかな」とか、「誰の機嫌を取っていれば自分が得をするだろうかな」とかいった智慧はあるでしょうが、彼らはせいぜい大卒で日本に来ていますから、そういう世故に長けた部分もありません。留学許可が出るまで、働いたことがあるといってもせいぜい肉親の会社にいたくらいのもので、必死に働かなければ今の生活を維持できないとか、どうにかしてのし上がろうと足掻いている人たちとは違うのです)、好きなことを勉強したいだけなのです。自分の勉強に関係のある人は好き、そうでなければ、どうしてそういう人たちと話さなければならないのかさえ、納得は出来ないのでしょう。

 私たちも中国だけでなく、そういう南の国の人たちが入ってきた時に、あまりの文化の違い、習慣の違い、そして対処した時の反応の違いなどに、衝撃を受けました。そしてどうして勉強させていったらいいのかに悩みました。まあ、悩み半分戸惑い半分でしたが。けれども、いろいろな教え方やカリキュラム構成などを、彼ら向きに考え直したり、非漢字圏の学生向けの副教材などを、在学中の学生の様子を見ながら作っていったりしました(当時、作ったもので、使うまでに至らなかった教材はたくさんあります。けれども、別の国の学生が来た時にそれが役に立ったりしたことがあるのです。あのときの実験は決して無駄ではなかったと思います)。


 これは教員一人が努力すればどうにかなるというものではありません。あくまで当時学校にいた教員皆で話し合いながら、試行錯誤していった結果なのです。そしてあれから七八年ほどにはなるでしょう。だいたい、どういう非漢字圏の学生たちが来ても、どうにか対処できるようにはなりました。

 けれども、これも毎日(学生たちと)顔を合わせ、相応しくないと思えば、翌日にはやり方を変えられるという状況の下での四苦八苦だったから、どうにか曲がりなりにも形を整えることができたのだろうと思います。もし、学生たちとの距離が遠かったら、それでも、こういうことが出来たかというと、それは私にもわかりません。

 中国人学生へのやり方は、もちろん文化は非常に違うところもありますが、勉強に対する考え方は同質と言ってもいいでしょうから、彼らとはこの面で対立することはありませんでした。つまり勉強しない学生がいたとしても、彼らには(教員に)言われたとおり勉強したほうがいいということは判っていたのです。

 しかし、例えば、「漢字を書いて練習します」と言っても、10回ほど書いて、「覚えた。もう手が痛いから書きたくない」と言う人に、「直ぐに忘れるから毎日書きなさい」と言っても無理なことなのです。漢字は書かなければ直ぐに忘れるということが飲み込めないのですから。適当なところでテストを繰り返し、直ぐに忘れてしまうのだと言うことを判らせてから指導しなければならぬのです。

 漢字一つの指導でもそうです。象形、指事などは楽でも、その他のものになると、日本語のレベルに合わせて、またクラスの人員構成なども鑑みながら、進度や内容をその都度変えていかなければ、なかなか覚えてくれないし、まず読めるようにもならないでしょう。

 勉強だけではなく、生活指導も大変です。これは国の数が増えるほどに面倒になって行きました。その上、年ごとに変わる、同一国出身の人数の多寡が微妙に指導に影響します。ベトナム人学生が多くなった最初の頃は、課外活動へ行く時でも、いちいち彼らの部屋へ行き、起こし、連れて行くという形を取らざるを得ませんでした。が、今ではそれはやめています。

 なぜかと言いますと、やめても大丈夫(本当は大丈夫ではないのですが)になったからです。これは学生が慣れたというより、私たち教員の方が、ゆっくりと変化に対応していくしかない彼らの習慣に沿う形になったといったほうがいいのかもしれません。

 はっきり言いますと、最初は待てなかったのです。彼らが日本に慣れるまで待てずに、日本人的な考え方で、そしてやり方で、「あなたたちが遅れると、待っている人たちは迷惑する。それはいけないことだ。それに、いろいろな所へ行くのはとてもいいことだから、絶対に行った方がいい」でやってしまっていたのです。多分彼らは「押しつけだ」と思い、「ああなんて嫌な人たちだ」と思ったことでしょう。

 焦る必要はなかったのです。いいかどうかは、既に子どもではない彼らが、ある程度の知識のもとに決めてもよかったのです(もちろん、能力のある学生には、強制しました。こういう学生は一度行くと、二度目にはもう、強制する必要はありませんでした。必要なことは自分で判りますから。けれども、ここで言っているのは、アルバイトをしてしまうと、直ぐに勉強の方が疎かになり、アルバイトがなかったらなかったで、ぶらぶらとしてしまい、勉強が疎かになるという、ごくごく普通の学生のことです)実際には、こういうことは、彼らが日本に慣れてくれば自然に判ってきます。

 学生も変わっていきますが、私たち教師の方でも、学生たちの状況や気持ちに添うような形で変わっていかなければならないのです(そうは言いましても、何事にも限度があります)。目の前に見え、しかも毎日彼らと会い、話しているのですから(小さい学校ですから、教員は学生を皆知っています。誰が今日休んだとか、誰がどこでアルバイトをしているとか、今どんな問題を抱えているとか)。もちろん知らないこともたくさんありますが、彼らが言いたくないことは言わなければいいだけのことで、困っていなければそれでいいのです。とはいえ、大概のことは聞けば話してくれます。

 昨日の後遺症でしょうか、いろいろ愚痴をこぼしてしまいました。
昨日の午後は、シッチャカメッチャカに忙しく(3時過ぎまで)、せっかく来てくれた卒業生二人とも話すことがあまり出来ませんでした。けれども彼らはよくわかってくれていますから、「先生、ちょっと散歩してきますね」とこちらに気を遣ってくれていました。

 それから大学院に行くために週に2日ほど来る事になっていた学生の面倒をみることが出来ませんでした(彼は3時からアルバイトに行かねばなりません)。それに一人、何か相談があって来たのでしょうか、「Dクラス」の学生の話を聞いてやることも出来ませんでした。

 ただ最後に、私が帰る頃のことなのですが、「今日、大学院の修士課程を無事に卒業できました」と、卒業生が一人、挨拶に来てくれました。彼女は、これから上海に戻って活動を始めるそうです。

 昨日は一日中、「忙不过来」で、予定していたことが何もできずに、イライラしていたのですが、彼女の卒業と、そして二人の卒業生達が見せてくれた立派な成績が何よりも疲れを癒してくれました。ありがとう。

日々是好日
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