風がないと、これほど違うものかと思いながら、それでも自転車で風を切って(ゆっくりなのですけれども)学校へ。
今日は鳥の姿をよく見かけました。寒さに羽を膨らませて、「ぶっとく」見える、「まるまっこい」鳥の姿は、なんとも愛くるしい限り…。
ところで、学校の前の道を「ハクビシン」が通ったらしいのです。普通に、野良猫や家猫が歩いているように、ごく普通に、歩いていたらしいのです。噂には聞いていましたけれども…、「動物園」級の動物が、いつのまにか、日本の野山で徘徊を始め、、それが、とうとう、この辺りでも出没するようになったのかと驚き入った次第なのですが。
最初は、(この辺りで初めて見たので)教員も、「あれは猫かタヌキか」と思ったと言います。「でも、額から鼻先まで、おしろいを塗ったように白いし…やはり『ハクビシン』だ。でも…、小さいな」。それを聞いた学生が、きっぱりと「子ども(の『ハクビシン』)だからです」。中には、よくわからないくせに、「食べます」とか、「食」の方へ走る学生もいて、「ハクビシン」よりも、学生達の反応の方が面白かったらしいのです。
この、「ハクビシン」で沸いたクラスも、『初級Ⅱ』の第45課が終わるくらいになりますと、少しずつ、自分の言いたいことが言えるようになってきているようです。
この、いつも思うのですが、(アルバイトできるくらいに)話せるようになったら、もうそれで、「勉強が終わり」になってしまう人達のことです。
書いたり、読んだりするのは、苦手。好きなこと、興味のあることを話すのは、好き。つまり、本を読むのはだめだが、井戸端会議ならぬ「お話し合い」は大好きなのです。授業中、勉強に関係のないことを言って、皆を笑わせる、あるいは驚かせるという努力は惜しまないくせに、地道に漢字を覚えなければならないような作業(ただ書くのではなく、覚えようとして書く)になると、途端につまらないと言うのです。飽きてしまうのです。
そこで、「いくら書いても覚えられない」(学生)と「覚えようという気が無くて、ただ写しているだけだから覚えられないのだ」(教師)の闘いが始まるのです。
漢字一字の意味は入れてあります。「N4」レベルの漢字がもうすぐ終わりそうなので、漢字二字の言葉にするにしても、大部楽です。で、それも入れたりしているのですが、聞いた当座は喜んでも、覚えようとしないので、「聞いた。わかった。忘れた」という流れで終わり、いつも。
そういえば、前に、インド人で、ここの学校に通っている人の中にも、そういう人がいました。気はよくて、みんなに好かれるのですが、(その時は中国人が多かったので、最初の頃はよくても)大学入試の時期が近づいてくると、カリカリしている彼等の邪魔になってしまう。まあ、彼は大学を出ていましたから、年齢も普通の留学生などよりずっと上で、そういう皆の気持ちもわかるので、(その頃は)抑えていましたが。
ところが、同じくらいの年齢の若者であったりすると、その、「抑える」ことができないのです。頑張っていれば、少しぐらい出来なくても、みんな待ってくれるのですが、そうではないとなると、ちょっと皆も待つ気にはなれないようですね。
出来るだけはやく、そういう自分から卒業してほしいものだと思うのですけれども。
日々是好日
今日は鳥の姿をよく見かけました。寒さに羽を膨らませて、「ぶっとく」見える、「まるまっこい」鳥の姿は、なんとも愛くるしい限り…。
ところで、学校の前の道を「ハクビシン」が通ったらしいのです。普通に、野良猫や家猫が歩いているように、ごく普通に、歩いていたらしいのです。噂には聞いていましたけれども…、「動物園」級の動物が、いつのまにか、日本の野山で徘徊を始め、、それが、とうとう、この辺りでも出没するようになったのかと驚き入った次第なのですが。
最初は、(この辺りで初めて見たので)教員も、「あれは猫かタヌキか」と思ったと言います。「でも、額から鼻先まで、おしろいを塗ったように白いし…やはり『ハクビシン』だ。でも…、小さいな」。それを聞いた学生が、きっぱりと「子ども(の『ハクビシン』)だからです」。中には、よくわからないくせに、「食べます」とか、「食」の方へ走る学生もいて、「ハクビシン」よりも、学生達の反応の方が面白かったらしいのです。
この、「ハクビシン」で沸いたクラスも、『初級Ⅱ』の第45課が終わるくらいになりますと、少しずつ、自分の言いたいことが言えるようになってきているようです。
この、いつも思うのですが、(アルバイトできるくらいに)話せるようになったら、もうそれで、「勉強が終わり」になってしまう人達のことです。
書いたり、読んだりするのは、苦手。好きなこと、興味のあることを話すのは、好き。つまり、本を読むのはだめだが、井戸端会議ならぬ「お話し合い」は大好きなのです。授業中、勉強に関係のないことを言って、皆を笑わせる、あるいは驚かせるという努力は惜しまないくせに、地道に漢字を覚えなければならないような作業(ただ書くのではなく、覚えようとして書く)になると、途端につまらないと言うのです。飽きてしまうのです。
そこで、「いくら書いても覚えられない」(学生)と「覚えようという気が無くて、ただ写しているだけだから覚えられないのだ」(教師)の闘いが始まるのです。
漢字一字の意味は入れてあります。「N4」レベルの漢字がもうすぐ終わりそうなので、漢字二字の言葉にするにしても、大部楽です。で、それも入れたりしているのですが、聞いた当座は喜んでも、覚えようとしないので、「聞いた。わかった。忘れた」という流れで終わり、いつも。
そういえば、前に、インド人で、ここの学校に通っている人の中にも、そういう人がいました。気はよくて、みんなに好かれるのですが、(その時は中国人が多かったので、最初の頃はよくても)大学入試の時期が近づいてくると、カリカリしている彼等の邪魔になってしまう。まあ、彼は大学を出ていましたから、年齢も普通の留学生などよりずっと上で、そういう皆の気持ちもわかるので、(その頃は)抑えていましたが。
ところが、同じくらいの年齢の若者であったりすると、その、「抑える」ことができないのです。頑張っていれば、少しぐらい出来なくても、みんな待ってくれるのですが、そうではないとなると、ちょっと皆も待つ気にはなれないようですね。
出来るだけはやく、そういう自分から卒業してほしいものだと思うのですけれども。
日々是好日