日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「久しぶりの雨」。「『上級』後」。

2010-08-09 11:20:27 | 日本語の授業
 夏休みが始まって、六日目です。昨日の夜から降り続いた雨も止んで、少し陽も差してきたようです。

 さて、学校です。
 さすがに、疲れたのか、今日はまだだれも来ていません。聞こえてくるのは、蝉の声と、工事の音だけです。

 一人でいると、いろいろな事を考えてしまいます。本当は、新学期が始まってからの準備をした方がいいに決まっているのに。

 「上級」が終わったクラスは、「高校の現代社会」を使い始めてすぐに夏休みになってしまいましたから、新学期はちょっと大変でしょう。

 「四月生」の「初級クラス」は、「40課」まで行きたかったのですが、「富士山旅行」のための「事前授業」や、その一環としての「DVD」などを見せているうちに、あっという間に終わってしまい、(残念ながら)後1課という所で夏休みになってしまいました。

 「初級」「中級」「上級」までは、一応のレールがあるので、後は学生の資質やクラスのカラーなどで、多少手を入れるくらいでなんとかなりますが、「上級」を一応終えてしまってからが、少々面倒なのです。始めの頃は、なかなかできませんでしたし。まず、それほど資質のある学生が集まらなかったということもあります。それどころか、反対に、何度「初級」を教えても、どうにもこうにもならないという学生が集まったということもありました。

私たちは、教員上がりですので、「空論」は駄目なのです。手探りでも、学生達を見ながら、彼らにあったものを考えていくしかないのです。「誰にでも合う」というのは、「誰にも合わない」ことなのです。「経験論」を信奉しているわけではないのですが、「理論家」崩れだけは、いやですね。「論」を振り回すだけで、「現状」を見ようとしないような輩にだけはなりたくないものです。

「『上級』を終えて、少し時間がある」というレベルの学生達が、一定の人数、集まるようになってから、少しずつ、引き出しの中が増えてきました。「ああしよう、いや、こうした方がいい」など、学生達が母国で学んできた知識の量の多寡や幅、そして学生達の資質などを加味しながら、いろいろ考えていきます。

 本当に「(日本の)高校」までの内容を、彼らの母国で十分に習得できている人は、殆どいないと見てもいいくらいなのです。先進国から来ている学生はそれほど考えなくてもいいのですが(彼らは日本語だけを学ぶためにこの学校に通います。日本で大学や大学院に進学するために日本語学校に入るという手段は取りません)。

それで、一般的な知識を入れるための授業もしていかなければならないのです。が、今回は、それでも、直で「世界史」には入れませんでした。

 まあ、それもしょうがないことです。彼らが大学や大学院へ進んだ時に、少しでも一般常識的な知識が足らぬが故のハンディキャップを背負わずに済むように、考えてやるしかありません。

 これも、「留学生試験(総合問題)」の受験対策と言えば、そうも言えるでしょう。とはいえ、去年、理系に進む学生に、「『総合問題』は受けないから、その時間『物理』や『科学』、『数学』をやりなさい」と言って失敗しました。(「留学生試験」を)受ける受けないに拘わらず、知識を獲得するためには、授業には参加させておかなければなりません。そうでなければ、「留学生試験」が11月に終わった後、いよいよ(各大学独自の)入学試験準備が始まるという時に、それができないのです。何も知らないのですから(理系といっても、話に世界史的な内容も、経営や哲学も入ってきます)。

 先週の金曜日。読解力が少々劣っている学生が、「世界遺産」のDVDを貸してくれとやって来ました。大学は「会計」を専攻するつもりです。知識に「幅」をもたせる上でも、中国人や途上国から来た学生達には、総合大学へ入ってもらいたいですね。一年や二年の時に、専攻と違う科目をドンドン受講して、視野を広げてもらいたいのです。

 この学校にいる時も、夏休みなどの長期休暇なら、(「二級」か「一級」レベルに達している場合だけですが)「あれが見たい、これが見たい」と言っても、怒りません。それどころか、注意事項を与えて、授業に関するもの以外は見せてやります。

 彼らの専攻に関するものでも同じです。日本では、誰でも、簡単に他の国へ行くことができます。大学生でも、アルバイトをして、海外旅行へ行きます。長期滞在は無理でも、一二週間の旅行なら、一ヶ月か二ヶ月、集中してアルバイトすれば、行くだけのお金は貯まります。見聞を広めると言う意味からも、これは得ですね。

 日本では、お金持ちだから、海外旅行ができるというわけではないのです。それに、テレビでも、様々なテーマの下に、世界各国に関する映像が流れていますから、それを見て、その国に行きたくなる人も出るでしょうし。卵が先か鶏が先かみたいな具合ですが、どちらでも良いのです。

 外国というのが、「遠い存在」である学生達を見て、彼らと日本の若い人たちの違いを感じています。グローバル化に両手を挙げて賛成というわけではないのですが、世界には様々な人がいる。様々な習慣がある。考え方もそれに応じて変わっているということを知るのは、とても大切なことです。天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)なんてのは、お釈迦様だけの話なのですから。

日々是好日
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