日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「読書百遍意自ずから通ず」ですね。

2024-05-15 08:20:11 | 日本語学校

晴れ。

「五月晴れ」です。今朝は「涼」で、爽やか。風はないけれども、公園には小枝が散っていました。ちょうど小鳥さんが巣作りをするのに適したほどの細さ、短さ。とはいえ、もう、巣作りは終わっているのでしょうね。

「三日見ぬ間のなんとやら」とは、よく言われるところですが、朝と昼とでも景色はかなり違っていて、昨日、昼にうちを出て歩いていると、朝になかったはずの草花の姿があちらでもこちらでも見受けられました。…違う道を通っているみたい。

さて、学校です。

昨日は一コマだけでした。このクラスでは、昨日は「読み」と「書き」に徹して(「中級」なのですが)、やってみました。「読み」は、一文を一文節か二文節、あるいは三文節ほどに切りながら、3,4回ほどでしょうか、読む練習です。口慣らし程度に。「ひらがな」が続きますと、(「新出語」を何回を読み、「漢字」も時間を与えて、「はい、覚えて」とやっても)切る場所が掴めない人が若干名いるので、これは必要なのです。もちろん、初めての文でも、すぐに「ああ」とわかる人もいます。

これを、暗記できるほどにやってしまうと、もう「字を追わなくなって」しまうので、それは避けた方がいいのです。せいぜい、「口慣らし」程度がいい。それが済むと、「はい、ここからここまで、自分で読んでみてください(3,4行です)」とやると、何人か、「字を追う」のが大変そうな人はいるのですが、それでも練習しましたから、読んでいけるのでしょう。これをやらないと、「苦手」「苦手」「苦手」、次に「難しい」「難しい」「難しい」の山に埋もれてしまって、身動きが取れなくなってしまいます。こうなってしまいますと、読むという意欲さえ失われてしまうのです。

読みさえすれば、いいのです。時間はかかるにしても、そうしていれば、少しずつでも、苦手意識は薄れ、「読める」と思えるようになってくれるでしょうから。…そう簡単にはいかないでしょうが。

母国で、先生が「英語の教科書」を読んで、その内容を説明する。英語がそれほど得意でない学生は、本を読んで勉強するでなしに、先生の説明を聞いて覚えるだけ。自分で読んで理解するという習慣が、それほど育っていない人達には、日本でこの「一苦労」をすることになるのは、私たちが思っている以上に大変なことなのかも知れません。とはいえ、日本社会で仕事をすることになれば、それは必要になる。読めると言うことは、やはり必要なのです。もちろん、字が読めなくてもいい、体力勝負だという会社もあるでしょうが、数年でもそこで働いていれば、その、文字が読めなくてもいいという自分の立場に、不安を感じてくるのではないでしょうか。私はそんなモンかなと。

とはいえ、暗記が得意の学生は、この「『3、4回』繰り返して練習する」というのに、耐えられない。すぐに飽きてしまいます。何回も練習しているのに、まだスムーズに言えないのかと、そういう目つきで、他の学生を見たりする。そういう学生は往々にして、「文字」を小馬鹿にしていますから、「一人で読め」と言われても、たいていの場合、「漢字」や「カタカナ」で止まってしまい、読んでいくことができません。つまり、「誰か」が必要になってしまうのです。一人では完結できないのです。けれども、母国ではそれでよかったので、どうしてもその習慣から抜け出せないのでしょう。下手をすると、卒業するころになっても、「字を追いながら、一人で読み、意味を掴む」という勉強に馴染めないままという人も出てくる。

昨年の10月に来た「十月生」にしても、もう半年は過ぎています。そういう勉強をするように、仕向けてきてはいるのですが、これが案外難しい。先入観があると言われればそうかもしれませんが、ある国から来た学生は10人いたら、一人以外は皆似たような状態になってしまう。「漢字」は、同じ文字であるにしても、「アルファベット」さえ覚えれば、後は情報を入れるために読めばいいというようなものとは違います。「『ひらがな』は書けるし、読める」と威張っても、一ページまるごと、「ひらがな」で書かれたとしたら、そりゃあ、日本人でも、読むのに苦労してしまいます…だから、おそらくだれも読んでくれないでしょう。漢字が、所々に入っているからこそ、すんなり読めるというもの。

言いたいこと、やりたいことが山ほどあっても、文字が書けなければ、「読んで習得」することはできません。勢い、徒弟のような修業方法しかなくなる。それでもいいのでしょうけれども、そこに至るまでに「テスト」という文字を介在にしたものがある。それに通らなければ、いくら「自分には、それを学ぶだけの気概も能力もある」と力説しても、無理でしょう。専門学校を卒業せねば、それがわかってくれるであろう人達のところへは到達できないのですから。

本当にこういう人達を見ていると、「『文字』さえ、学ばなくてすめば、どうにかなるであろうに」と思います。ただ、「(技術を)見て覚える」だけなのは「書かれているものと併用しながら学ぶ」よりもずっと難度が高いと思うのですが、それは、多分、彼らにはわからない。見て、覚えて、育ってきているだけのような気がするのです。

「見て覚える」だけでは、何事も為し遂げられない。やはりそれを書いてあるものを読むのも大切なはずです。だから、「漢字」も覚える必要がある…日本で学ぶというのなら。

口を酸っぱくしても、この国のある種の人達には全く通じない。で、このクラスでは「読む・読む・読む」を徹底させることに。まさに「読書百遍意自ずから通ず」です。今は、「指示語」も「接続の関係」もやらず、やるのはせいぜい「動詞」に関するものくらいにして、「読めた」という達成感を味わってもらうことに。

もちろん、「Aクラス」では、「読み」を簡単にして、どんどん質問はさせてもらっていますが。

日々是好日
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