日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「十月生クラス」から、「四月生クラス」に上がったときには、戸惑っていた二人も、かなり追いついてきましたね。

2024-05-24 08:26:55 | 日本語学校
晴れ。

この分で行くとかなり暑くなりそうです。早朝から、暑い!

あちこちで、「ドクダミ」が繁茂しています…「梅雨」が近づくと毎年、こんな感じになります。そしてもう花が開いている。ついこの間まで蕾だったのに…。緑の厚い葉っぱの間から、白い花が顔を覗かせ、ここはおいらの領分だぜとでも言いたそう。花はかわいいのですけど、あの繁り方は…独占欲が強い人のようで、どうもいただけません。

さて、学校です。

「N2」と「N3」の、複式授業をしている「Aクラス」です。一応、学校に来て座っているだけという人はご遠慮願っているはずなのですが、自分が授業に入っていないクラスではそうも行かず、少々困っていました。もちろん、どうしても諸般の事情から午後のクラスには行けないという人もいることはいるのですが、その人達にはあらかじめ、話はつけてあります。

「N2」を受ける三人は、問題はない…と思っていたのですが、「四月生」が一人、ご家族の不幸で、気落ちしてしまい、日本語もしばらくの間「放棄」状態になっていました。僅かな期間で、こうまで、「単語」も「文法」も消えてしまうのかと思われるほど。主に「単語」ですね。

もとより、無理からぬ事ですから、こちらも最初のうちは黙って見ているだけ…にしていました。訊くのも躊躇われるような事情がありそうでしたから。

とはいえ、もう数週間経っています。「大学ではなく、専門学校のほうへ行きたい」とか言い始めた頃から、頃合いもよしということで、「もし、日本にしばらくいたいのなら、日本で働きたいのなら」と、「大学に進学するメリット」などを話してみました。ついでに日本の状況や、彼らの二年後、四年後にはどうなるか判らないという世界の趨勢やらも話し、最後に、今のままでは「選ぶ」という選択肢はなくなる。どちらにせよ、「選ぶ」ことができるようにしておくべき。…ということで、(なにせ、単語をきれいさっぱりと忘れていましたから)「中級」になってからの教科書をもう一度見ておくように言っておきました。

本当に一ヶ月足らずで、忘れてしまえるものなのですね。その期間も、日本にいて、学校にも通っていたというのに、心ここにあらざれば、何をしても身につかなかった…。

こういうことを話していると、以前よりヒアリング力がついてきた「十月生(非漢字圏の方)」が傍らで熱心に聞いていることに気付き、そういえば、君もいた…。彼は話をよく聞いているのです。自分に関係のないことでも、こちらが(日本語で)話すと、聞き取ろうとするのです。聞き耳を立てるといった方がいいのでしょうか、そんな表情でです。集中しているなという感じで。

普通なら、「非漢字圏の『十月生』」を「四月生」のクラスに入れるというのには無理があります。本人が、かなり努力しなければなりませんから。ある程度の知識欲もあり、努力する人でないと、辛いはず。ただ「七月生」と「十月生」が大半を占める「Bクラス」ではちょっときついかな。

このクラスは、語学の面で少々レベルが落ちる(「語学」の面だけです)人や、やるようにいえばやるけれども、その意味を解さないから「やるだけ(つまり、「書く」だけであったり、「読む」だけであったり)」の人や、(語学の面で)素質はあるけれども、「11月」の中盤に来ていたり、「1月」に来ていたりして、基礎が弱い人などが多いので、それ以上できる人は、やはりここに置いておくわけにはいかないのです。

もっとも、これは「非漢字圏」の学生はということで、「漢字圏」の学生であったら、彼(十月生)と同じように「ひらがな」の導入から来て(十月生)いても、「非漢字圏」の「四月生」の中に入れて別に困ることはない。直に遜色なくなるでしょうから。

ただ「十月生」の、この二人、本当に素直なのです。最初は「判らない」さんで、固まっていました。

このクラスに来て一、二週間ほどですか(「漢字圏」の学生は「N3文法」に面食らっていた。どうも、自分で問題を一つ一つ解こうとしたみたい)、「先生!」と来た。「全然判りません。どうしたらいいですか」。追い詰められたような表情で、救いを求めてきた。こちらが「問題なんぞ、今、やる必要はない。もう少し、授業が進んでからから、やりたかったらやればいい。なにせ、『初級』が終わったばかりで、(このクラスの)授業を聞いていても、まだ、それほど聞き取れているわけではないのだから」。

「やらなくてもいいどころか、やる必要がない。無駄」で、少しばかりほっとしたようです。「一ヶ月ほどは聞く」に専念していればいい、そのうちに、それで満足できなくなり(やり方に慣れ、聞き取れるようにもなるでしょうから)、腕ならしというか、やろうかなという気になった時に、すればいい。「四月生」と一緒になったばかりの時は、やる気満々でも、まだ実力が伴っていないので、反対に「難しい…」と、苦手意識が生ずるかもしれず、こういう場合は無理をしないことが大切。

「他の人は判るのに、自分は…」と、思わないこと。まあ、今回は彼だけでなく、もう一人「非漢字圏」の学生も一緒でしたから、互いに助け合ってというか、呆けをやり合って(この「初級」から上がったばかりの頃の「三ヶ月」や「半年」の差というのは本当に大きいのです。しかし、語学の面で勘がある人にとっては、越せない壁ではないはず)、そして、「君もそう?私もそう」で笑いあっていれば、直に、落ち着くものなのです。

実際、「N3」文法では、(七月生と)もう差はなくなっています。ただ「漢字圏」の学生にとっては、「N3」でというのは、ちと惨め。ただ、まだ「四月生」と同じ「N2」(「N3」をやりながら同時に)はちょっと辛いようですね。

これは母語の世界で、いわゆる「国語」が苦手であれば、やはり外国語の「読解」も苦手というのが普通ですから、無理強いはできない。人にはそれぞれ得意分野と不得意分野というのがありますから。

こういう「外国語」を教えていると、それにつけても思われるのは、こういう「外国語」が不得意であったら、新しい知識も、古い知識も、そして考え方も学べないという、少なからぬ国のこと。

日本はありがたいことに、国力が弱小であった幕末の後半から、知識のある人達が、必死になってどんどん世界の先進技術や、様々な知識を日本語に訳し、そして広めておいてくれた、そして、それらを知っていることで暴利を得ようとはしなかった。国力を高めるためには、一般人のレベルも上げる必要があったことを国も、知識階級の人達も知っていた…のでしょうね。だから、今の日本があると言ってもいい。途中でおかしな方向に進んでしまったけれどもね。

外国語ができなくとも、母語で基礎教育を受けられ、その土台のもとに、成人になってやりたいこと、しなければならないことが見つかったときに、すぐに日本語でそれを、あるときは独学で身につけることもできた。

ただ、国によっては、ある外国語ができる(知識や技術、深い考えや理解力がなくとも)だけで、特権階級と見なされたり、金を稼げたりする。実際、本人の能力とかとは無縁で。そういう国も少なくないようなのです。

頑張ってくれた先駆者に、そして今も頑張ってくれている人達に感謝です。

日々是好日
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