日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

春の花。「レンギョウ」「ユキヤナギ」「タンポポ」…。「スミレ」はまだかいな。

2024-03-28 08:07:43 | 日本語学校
曇り。

鳥がチュンチュン啼いています。今、声が聞こえている割には、公園に鳥の姿は見られませんでした。しかしと言っては何ですけれども、スーパーの裏に「レンギョウ」の花が咲いているのを見ましたし、通りに面したお宅では、「ユキヤナギ」の花が満開でした。昨日は帰りに「タンポポ」が咲いているのを見て、ワッとなりましたし、後は、「スミレ」だけかなんていう気分にもなっています。

各地から、続々と…とは行きませんけれども、ポツリポツリと「サクラの開花宣言」が出されています。関東はまだのようですが、土日は20度くらいになるとのことですから、週明けには満開になって…だといいですね。

「サクラ」なんて、朝と夕方ではまるっきり姿を変えてしまいますから、この1週間で、どうなるかわかりません。いつでしたか、花見を兼ねて友人と駅前のベンチでお弁当を食べたことがあったのですが、その数時間で、蕾が膨らみ、ほどけそうになっていった姿を見て以来、どうも信用できんという気が抜けきれません。そんな樹ですものね、「サクラ」は。油断は大敵です。

さて、学校です。

昨日も賑やかでした。

ベトナム人卒業生が三人やってきました。もう十年ほどになるかしらん。一人は家族を呼ぶことができたと言って、奥さんと小さい二人のお子さん連れでした。聞くと、この三人、よく会っているそうです。それぞれタイプは違うけれども、いわゆる「よくできる」人達。こういう人達を雇うことができれば、日本の会社も安心でしょうね。この学校にいた時でも、この三人には三者三様の頼み事をしていました。タイプが全く違っていますから。

ちょうど授業中だったので(本当に、日本の事情に疎い人達と同じで、連絡なしに突然来るんだか、もう、まったく)、休み時間にチョコッと(補講していた学生達が「どうぞ、どうぞ」と…、多分、「やったぜ」くらいの気分で勧めてくれたのでしょう)会ったのですが、もしかしたらチョコッとが、思いのほか長かったのかもしれません。戻ると、明らかに完全にリラックス状態の学生達がいましたから。

で、戻って、授業を進めていると、「久しぶりに教室を見たいと言っている」と、教師が彼らを連れてきました。2列目にずらりと並んで、授業参観です。補講の学生達は、3月の頭に『みんなの日本語』が終わったばかりですから、「簡単だよ」と言ったのですが。中の一人、それなりに真面目に聞いていました。

「春休み」ともなると、卒業した学生達も、「ちょっと学校に寄ってみようか」くらいの気分になるようで、突然の来訪が増えています。もっとも授業をしている最中ですと、補講ではあれ、今日中にここまでという計画がありますから、なかなかゆっくりとは相手ができません。一人はもうすぐ帰国するそうですが、残りの二人は、ずっと日本にいるつもりだそうです。住んでいる所も、東京と千葉県。これからもついでで来られるかもしれませんから、「またね」で送ることに。

今、このクラスというか、補講のクラスでは、いくつか「N5」,「N4」の復習を入れているのですが、漢字もその中の一つ。「漢字」ばかりは、「週一」のテストで合格しても、合格した途端、きれいさっぱりと頭から消えてしまう…。困ったね。そう言うと、当然という顔をされてしまいました。

「中級」の「読解」にしても、今は、その課をやる前に、漢字を「読み、書く」をしているのですが、新学期になれば、「N2」の人達と一緒になりますから、それはできません。自分たちで時間を作ってやっていくしかないのです。

それが、おそらく、出来ないであろう人達が、元のクラスに残っている…、とはいえ、やはりこの人達も、本来ならそれをやった方がいいのでしょう。

「四月生」で、残っている二人には、「読解」をやる時にも、その課の漢字を別に教えて書かせるというようなことはしませんでした。レベル毎の漢字を入れていれば、それで足れりとしていたのです。またそれで足りていましたから。ところが「七月生」「十月生」は、ごく普通の「非漢字圏」の学生達で、「読解」教材を教える時にも、出てきた「漢字」をいちいち「書かせ、読む練習をし、それから本文に臨む」をしなければならないでしょう。それくらい、多く漢字に親しむ場を設けなければならないのです。そうでなければ、ルビを振るという作業だけで、下手をすると三〇分くらい過ぎてしまうかもしれません。

漢字が読めなければ、何を言っているかわからない」というのが、そろそろわかってもいい頃だと思うのですが、まだ高をくくっているのでしょうね。学校での勉強では、読んでいますもの。「読みの練習」も必要ですから。その、聞いた話(?)から類推して答えているのでしょう。これは本当に危ない。先に、誰かに読んでもらわなくとも読めるようにしておかなければ、結局は実力とは見なされない…というのが、いつ、わかるのかな。もう、こっちの口も酸っぱくなっているし、工夫の種も尽きているんですけれども。結局は本人に自覚がなければ、始まらないのです。

日々是好日
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