日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「その流派に、辟する人においては」…いろいろなことを考えてしまいました。

2022-06-06 08:20:08 | 日本語学校
雨。

梅雨時のような雨が降っています。今朝はかなり冷えます、最高気温も20度には行かないのだとか。今日は長袖に長袖の上着で来た方がよかったのかもしれません。今日みたいな日は、きっと、半袖という真夏の格好の人が二人は、出てくるでしょうね。…そうなると、やっと収まりかけていた「ゴホン、ゴホンさん」が、元に戻ってしまうかもしれません。

「その流派に、辟する人においては」云々。この部分だけが強烈だったので、覚えているのですが、続きの件は、無知蒙昧の輩よりもずっと国のためにならないとかいう意味だったような。「辟する人」というのにドキッとしてしまったのです。漢文調というのは、やはりいいですね。ズバッと切り取れます。和文調とはまた別の良さがあります。こういうのを日本人は使い分けてきたのですね。強く言うか、軟らかく言うか。日本人にとってはそうなのですけれども、漢文調しかないので(変な言い方ですが)、日本人にとって中国語は強くぶっきらぼうな言い方に聞こえるのかもしれません。

閑話休題。

いわゆる「辟する人」というのは、ある事に拘ってしまう人のことなんでしょうね、きっと過剰なほどに。譲らない、譲れないから、そこから、個人的な争いや揉め事、紛争や戦争などが起こってしまう。

宗教だって、人が幸せになるために作り上げたものなのでしょうに、それが「拠り所」となってしまって、争いを生み出し、他者を殺さずにはいられないような状態にまで、人を追いやってしまう。

民族だってそう。人は、(今のところ)皆、同じホモサピエンスで、肉食動物が生きんがために他の動物を食らうというような関係じゃない。それに、ネコや犬、鳥や魚、ライオンやゴリラを可愛がれる人が、人を慈しめぬわけがない。どうして同じグループだけを大切にする。

「同じグループだと思っていたのに、『他の方がいい』と言う。これは裏切りだ」。こういうのは何でしょうね。悪女の深情けでしょうか

派を作り、仲間を作ろうとする。或いは、同じ考えの者で周りを固めようとする。違う考えの人に近づくのが怖いのかな。怯えているのかな。そう思っていたけれども、怖そうじゃない。怯えてもいない。反対に意気揚々として見える。自分を正しいと言ってもらいたいだけ?

「○○する者、この指、止~ま~れ」で、一緒に「鬼ごっこ」やら、「ままごと」やらをする分にはいいけれども、ごり押しをするために人を集めるというのは、どうも、嫌ですね。

多数決というのと、民主主義というのとは、ちょっと違うような気がする。少数者を重んじると言いながら、それが守れるような賢人がそんじょそこらに転がっているとは、どうしても思えないし。

まあ、世界は世界です。個人は個人です。今のところ、学校は平和です。9カ国から来ている22名ほどが、平和に勉強しています。国ごとに癖があって、失敗すると本人はもとより、周りも大笑い。あっちでもこっちでも間違えますから、皆、お互い様という顔をして、失敗しても、あちゃあ、ハハハハハ」で終わり。

こういうのがいいですね。

日々是好日
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