快晴
昨日は雨だったのに、もう晴れになっています。それも「秋晴れ」の空に。
「サクラ(桜)」樹は、黄葉が始まり、散り始めているところもあるようです。きっと自然にというよりは、雨にやられたのでしょうね、路上に落ちているのは。
今年は、晩夏と初秋が、なかった…、記憶に残らなかっただけかもしれませんが…。
例年ですと、この頃の「カ(蚊)」はとにかく根性が悪く、小さいくせに、噛まれるとピリッとして痒いこと痒いこと。まあ、向こうにも向こうの事情があり、一生懸命なのはわかるのですが。…それがほとんど無かった。根性悪の「カ」は居ませんでしたね。
夏から秋へと徐々に変わっていくうちに、夏の木々の花が少しずつ姿を消し、じわりじわりと黄葉が始まっていた…てなことも、あまり感じられなかった。
「ハッとして見れば、もう秋」だった。しかも、12月並みの寒さの日があったりして…。どうも落ち着きません。しかも、先週の日・月は台風が来た、それが去ったと思いきや、また今週の土・日にやって来るのだそうです、新しいのが。あくまで、予想だそうですが。台風のシーズンはまだ終わっていないのかしらん。「もういい」みたいな気になっているんですけれども。
さて、学校です。
「Dクラス(4月生)」の難物さんたちの授業では、あれこれと対策を練らざるをえず、それが不発に終わったことも少なからずありました。それでも、皆、毎日来てくれると言うことは、どうにかなっていたのでしょう。とはいえ、日毎に重くなってきました。なにせ、いつの間にか、もう「44課」が終わろうとしている…のですから。
「テ形」を入れたころから、皆(担当教員3名)で、とにかく「『騙し、騙し』行こう」ということで、やって来ました。この、(ほとんどが、日本に来て初めて日本語を勉強するのだと感じさせるような)ネパールの人たちは、本当に「どぎつさ」や「嫌み」のない、素直な人たちで、変なプライドやひねくれた自負心などもなく、私たちにしても、どうにかして、日本語のテストでいい点をとらせて、彼らを喜ばせてやりたい…という気持ちにさせられる…のですが、いかんせん、テストに慣れていないのです。
単純なテストの「型」ならば、どうにかなるのですが、(私たちから見れば)ごく普通の型で問われるテストはだめなのです。問題用紙を見るなり、「固まって」しまうのです。きっと、暗記だけなら、生きていけるのでしょう…。でもねえ、そうはいかないのです。
3ヶ月、中には半年ほども(日本語を)勉強して来ているはずなのに、「テ形」のルールが、なかなか呑み込めない。繰り返し繰り返し、毎日練習しているうちに言えるようになっても、どこか、頭で理解したのではなく、繰り返しで慣れただけのような気がしてならないのです。まあ、それはそれでいいのですけれども、ただ応用がきかないのです、それでは。
その上、「わかった」気になる前に、当然のことながら、「ナイ形」が出てくる。「ナイ形」が終われば、「辞書形」、「タ形」、「意向形」「命令形」「禁止形」「条件形」と活用の形は増えていく。その上「可能」やら「受け身」やらも入ってくる。毎日毎日が繰り返しです、とにかく繰り返しで覚えていく…しかないのです。
大変だァと思っているのは、…彼らが口にしなくてもよく判っているのですが、一回目というのは、だいたい、そんなものなのでしょう。既習の、ベトナム人学生だって、二回目だからよく出来る(みんなの日本語レベルでです)だけ。それだって、国でそれほど真面目にやっていなかった者は、字だってだんだん乱れてくるくらいなんですから。
それで、「大丈夫だよ、大丈夫だよ。一回目だからね、これを二回やるとよく判るようになる。だから、今は我慢のとき。今(20課辺りのときには)だって、『14課のテ形』をみれば、簡単だと思うでしょう。『50課』をやるころには、今日勉強しているところだって、『ああ、簡単』と思えるようになるから」とあやし、あやし、騙し、騙し、抑えに抑えて、やって来たのです、当初から担当していた三人は…。
時々、担任が「(毎日のこととて、つらくて心が挫けそうになるようです)、可哀想だなあ、わからないって顔をして見られると、つらくなる」と言えば、後の二人が、「大丈夫、大丈夫」と誰を慰めているのかわからないような慰めを言って、そして学生にも、「褒めたり」「叱ったり」で、ごまかし、ごまかししてやって来たのです。
それが、「35課」あたりから、だんだんごまかせなくなり、学生の方で、わからないことが自覚できるようになり、そろそろごまかせなくなっているような状態です。それでも、毎日来てくれているので、授業の終わりには、わかるところをやり、「ああ、わかった」で放課するようにしているのですが、それもカなり重くなりました。
担任は(途中から変わったのですが)、毎日のことですから、力尽くでごまかして、一応2冊目が終わってから、整理する気でいますが、間、間で入る人は、そんなことも言っていられず、「重い、重い」を繰り返しています。
それは、もちろんそれは、重いでしょうねえ。私の方は、毎日のことですから、適当に目先を変えさせることもできますし、元気がなさそうな日には、復習を多めにして、また元気に言わせていくこともできるのですが、隔日であったり、1週間に一度であったりしますと、その(彼らに対する)勘が養われる遑がありませんから、余計に重くなる。
しかも、交代した二人(の教員)は余計辛いでしょうねえ。
とはいえ、担当する皆が、どうにかしてやりたいという気持ちを抱くということは、この人達の人徳かしらん。
日々是好日
昨日は雨だったのに、もう晴れになっています。それも「秋晴れ」の空に。
「サクラ(桜)」樹は、黄葉が始まり、散り始めているところもあるようです。きっと自然にというよりは、雨にやられたのでしょうね、路上に落ちているのは。
今年は、晩夏と初秋が、なかった…、記憶に残らなかっただけかもしれませんが…。
例年ですと、この頃の「カ(蚊)」はとにかく根性が悪く、小さいくせに、噛まれるとピリッとして痒いこと痒いこと。まあ、向こうにも向こうの事情があり、一生懸命なのはわかるのですが。…それがほとんど無かった。根性悪の「カ」は居ませんでしたね。
夏から秋へと徐々に変わっていくうちに、夏の木々の花が少しずつ姿を消し、じわりじわりと黄葉が始まっていた…てなことも、あまり感じられなかった。
「ハッとして見れば、もう秋」だった。しかも、12月並みの寒さの日があったりして…。どうも落ち着きません。しかも、先週の日・月は台風が来た、それが去ったと思いきや、また今週の土・日にやって来るのだそうです、新しいのが。あくまで、予想だそうですが。台風のシーズンはまだ終わっていないのかしらん。「もういい」みたいな気になっているんですけれども。
さて、学校です。
「Dクラス(4月生)」の難物さんたちの授業では、あれこれと対策を練らざるをえず、それが不発に終わったことも少なからずありました。それでも、皆、毎日来てくれると言うことは、どうにかなっていたのでしょう。とはいえ、日毎に重くなってきました。なにせ、いつの間にか、もう「44課」が終わろうとしている…のですから。
「テ形」を入れたころから、皆(担当教員3名)で、とにかく「『騙し、騙し』行こう」ということで、やって来ました。この、(ほとんどが、日本に来て初めて日本語を勉強するのだと感じさせるような)ネパールの人たちは、本当に「どぎつさ」や「嫌み」のない、素直な人たちで、変なプライドやひねくれた自負心などもなく、私たちにしても、どうにかして、日本語のテストでいい点をとらせて、彼らを喜ばせてやりたい…という気持ちにさせられる…のですが、いかんせん、テストに慣れていないのです。
単純なテストの「型」ならば、どうにかなるのですが、(私たちから見れば)ごく普通の型で問われるテストはだめなのです。問題用紙を見るなり、「固まって」しまうのです。きっと、暗記だけなら、生きていけるのでしょう…。でもねえ、そうはいかないのです。
3ヶ月、中には半年ほども(日本語を)勉強して来ているはずなのに、「テ形」のルールが、なかなか呑み込めない。繰り返し繰り返し、毎日練習しているうちに言えるようになっても、どこか、頭で理解したのではなく、繰り返しで慣れただけのような気がしてならないのです。まあ、それはそれでいいのですけれども、ただ応用がきかないのです、それでは。
その上、「わかった」気になる前に、当然のことながら、「ナイ形」が出てくる。「ナイ形」が終われば、「辞書形」、「タ形」、「意向形」「命令形」「禁止形」「条件形」と活用の形は増えていく。その上「可能」やら「受け身」やらも入ってくる。毎日毎日が繰り返しです、とにかく繰り返しで覚えていく…しかないのです。
大変だァと思っているのは、…彼らが口にしなくてもよく判っているのですが、一回目というのは、だいたい、そんなものなのでしょう。既習の、ベトナム人学生だって、二回目だからよく出来る(みんなの日本語レベルでです)だけ。それだって、国でそれほど真面目にやっていなかった者は、字だってだんだん乱れてくるくらいなんですから。
それで、「大丈夫だよ、大丈夫だよ。一回目だからね、これを二回やるとよく判るようになる。だから、今は我慢のとき。今(20課辺りのときには)だって、『14課のテ形』をみれば、簡単だと思うでしょう。『50課』をやるころには、今日勉強しているところだって、『ああ、簡単』と思えるようになるから」とあやし、あやし、騙し、騙し、抑えに抑えて、やって来たのです、当初から担当していた三人は…。
時々、担任が「(毎日のこととて、つらくて心が挫けそうになるようです)、可哀想だなあ、わからないって顔をして見られると、つらくなる」と言えば、後の二人が、「大丈夫、大丈夫」と誰を慰めているのかわからないような慰めを言って、そして学生にも、「褒めたり」「叱ったり」で、ごまかし、ごまかししてやって来たのです。
それが、「35課」あたりから、だんだんごまかせなくなり、学生の方で、わからないことが自覚できるようになり、そろそろごまかせなくなっているような状態です。それでも、毎日来てくれているので、授業の終わりには、わかるところをやり、「ああ、わかった」で放課するようにしているのですが、それもカなり重くなりました。
担任は(途中から変わったのですが)、毎日のことですから、力尽くでごまかして、一応2冊目が終わってから、整理する気でいますが、間、間で入る人は、そんなことも言っていられず、「重い、重い」を繰り返しています。
それは、もちろんそれは、重いでしょうねえ。私の方は、毎日のことですから、適当に目先を変えさせることもできますし、元気がなさそうな日には、復習を多めにして、また元気に言わせていくこともできるのですが、隔日であったり、1週間に一度であったりしますと、その(彼らに対する)勘が養われる遑がありませんから、余計に重くなる。
しかも、交代した二人(の教員)は余計辛いでしょうねえ。
とはいえ、担当する皆が、どうにかしてやりたいという気持ちを抱くということは、この人達の人徳かしらん。
日々是好日