ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

寿命

2017年12月25日 18時01分49秒 | 雑感
人に寿命があるように、きっと会社にも店にも寿命があるのだろう。
昨日隣の町に千年住宅を見に行ったのだけどそれは実はついで。
本当はそばを食べに行った。

もう10年くらい前になるかなぁ~
感じのいいころだったし、それなりにはやっていた。
それでもう一度行ってみたいと思っていたのだ。
待たされるのは嫌だからと11時半ちょっと前についた。
ところが駐車場には車は止まっていなかった。
中に入ると誰もいなかった。
犬が一匹床にいるだけだった。
靴を脱いで床に上がったけど、同じ床に犬が暮らしている・・・
衛生上とっても気になった。
もっともとってもおとなしい、まるでぬいぐるみのような犬だったので、
それはそれでいいのだけど、犬嫌いの客だったらどう感じただろう?

床はほこりまみれだった。
客がたくさん来た後だったら汚れていても納得はできるけど、多分初めての客。
掃除をしていないのだろう。
これはもはやそば屋以前の問題ではないだろうか?

しばらくしばらく待ったあと、そばセットとかけそばが来た。
そばセットはこちら、かけそばは家内。
十割そばはうまいと思う、かやくご飯もうまいと思った。
でも、あとは汁物でこれだけで1300円くらい、だった。
家内が頼んだもりそばは確か800円くらい。
問題は値段ではなく、値段相当の味があるかということ。
前食べたときは、確か同じそばセットを食べたと思うけどその時はとっても満足した。
それで家内を案内したのだった。
ところがもりそばを食べた家内はとっても不機嫌になってしまった。
出汁がまずい!という。
確かにそれは感じた。
前感じた感激が少しもない。

そこで思ったのは店の寿命なのだ。
人には寿命があるように、きっと店にも寿命があるのだろう。
店主が老いたら店も老いる。
それは仕方ないことじゃない?
とっても寂しいけど、それはそれであきらめよう。
そう、人には寿命があるように店にも寿命がある。
それは仕方ないことではないだろうか?
12時過ぎてもほかに客は誰も来なかった。

この店には二度と行くことはないけど、
とっても残念な気がしながら、
とっても心残りながら、
そんな気になりながら、
この店を後にしたのだった。

人に寿命があるように、
店にも寿命があるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隣の町~1000年住宅

2017年12月25日 06時31分07秒 | 田舎暮らし
ふと隣の町に行ってきた。
ここには1000年住宅というものが残っている。
室町時代に建てられたという古民家。
寺社だったら残っていることはあるけど民家が残っていることはまずない。
とっても貴重な建物なのだ。
前一度来たことはあるけど、その時はあいにく平日、ここは土日でないと中に入れない。
それで今日初めて中も見た。



江戸時代に大分改装されてるということだけど、でも室町時代の雰囲気がたくさん残っている。
普通の古民家に比べて屋根がとっても低い。
弥生の竪穴式住宅と江戸時代以降の古民家の間の中間的な住宅という気がした。



中は田の字型の間取り。
南側の部屋は手斧で削った板張りで奥の部屋は仏壇ではなく神を祭っていた。
北側の床は板ではなく竹を敷き詰めてた粗末な床だった。
板がとっても貴重だったことがよくわかる。
江戸以降の田の字型の家だと、南側は客用に大切にして普段は使わない。
家族は最も条件の悪い北西の部屋を使っていたという。
ここでも家族はこの竹製の床にむしろを敷いて暮らしていたのだろうか?
その寒さを考えるととっても信じられない気がする。





屋根は天井板はなく剥き出し。
もちろん普通の古民家でも屋根裏部屋はみなこうだけど、土間や囲炉裏は別として普通の部屋にはたいてい天井板が敷かれている。



これが竹張りの部屋。
我が家でも竹張りってとってもいい感じだったので囲炉裏と台所兼居間には残した。
ところがこれは大きな失敗だった。
毎朝毎朝天井からほこりが落ちて来る。
ほこりだけならまだしもムカデまでもどさどさっと落ちて来る、これには参った!
きっとここに住んでる人も毎日毎日そんな悩むを持ちながら暮らしていたのだろう。





これは竈。かまどってなんか侘しいなぁ~なんて思っている人がいたらそうれは大間違い!
それは富の象徴だった。
竈を持てる家なんてそうそうはなかった。
竈を作るなんて大変な工数がいった。
炊くだけだったら石を組み合わせて竈の代用は簡単に作ることができる。
それをこんなに作ることは当時この集落ではとっても豊かな家だったことがわかる。

我が家にも竈があった。
田舎ではそれが当たり前のことだと思っていた。
でもあとで集落の人に話を聞いたら、なんとこの集落で竈があったのは3軒だけだという!
まるで江戸時代。
強欲な庄屋にいじめられる貧しい貧しい小作人の世界、まんが日本昔話のようで、
そんな世界が身近にあったようでとっても不思議だった。







さてこの1000年住宅、いわれを説明するのはめんどうなので興味がある人はこの掲示板を拡大して読んでくださいね。
入場無料!
ただし土日でないと中には入れません。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする