千年住宅の先にダムがある、さらに先に行くと人形の村がある。
きっとここは集落の人よりも人形の数の方が多いだろう。
この人形の里、何年か前にも何度か行った。これはその時のブログ。
最初見たときとっても感激した。
なんでこんな山奥に?!・・・
でも、今見たら、なんかみんなすすけて見えた。
新しい人形が目に付かなかった。
この人形の製作者たちは今どうしているんだろうね?
・・・と、侘しく想像した。
ここは雪彦山の登山口。
登山シーズンは賑わうのだけど今はオフシーズン。
売店や宿泊施設などが備わった駐車場には車が1台しか停まっていなかった。
でもまあ、ここは雪彦山の登山口、これからも生き残れるだろうけど、
そうでない普通の里山はどうしたら生き残っていけるのだろう?
イベントをして人を集めても賑わうのはそのイベントの時だけ。
税金を使って、街の人を集め街の人が喜んで帰っるだけ。
それが集落の再生になる・・・と思うのは単なる幻想。
あとに残るのは現地のスタッフの疲労と元通りの侘しい田舎。
そして現地のスタッフもすぐに老いてそんなイベントも維持できなくなって、
集落の死を迎える。
そんなイベントを無駄だとは思うけど悪いとは思わない。
人は死ぬ瞬間とっても輝く。
それと同じように集落もそのまま寿命を迎えて死ぬよりも、
最後は輝いて死ぬ方がいい・・・と思う。
いえいえそんな話ではない、水の話。
この集落をもうちょっと山道に入ると、水が湧き出ているところがある。
せっかく近くまで来たのだから、水を汲んで帰ろうと思った。
けっこう有名なところでよく人がやってくる。
特に食堂・喫茶店など水を扱ってる人が多い。
着いたら大阪ナンバーの車が何十本もペットボトルに水を汲んでいる。
もう1台待ってる車の人に聞いたら、もう30分も待っている、とうんざりしながら言っていた。
さすが大阪人、ほんのちょっと「お先にどうぞ!」と譲ってあげる気はないらしい。
ともあれ何とかポリ袋に水をくんで帰って来た。
この水で正月、コーヒーや紅茶を沸かして飲みたいなと思ったのだ。